ロシアは断固たる対抗力で封じ込めるしかない――アメリカ人外交官が書いた長文電報の衝撃的な内容

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 かつて、ロシア人の善意を前提にして、ロシアとの協力を軸とした国際秩序を夢想することに、警鐘を鳴らし続けていたアメリカ人外交官がいた。国際政治学者の細谷雄一さんの著書『戦後史の解放II 自主独立とは何か』から紹介する。

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 1946年から48年までの2年間、アメリカ政府の中では1人の外交官の構想と戦略が巨大な影響力を及ぼし、さらに国際情勢の行方に深く結びつくことになる。そのアメリカ人外交官の名前は、ジョージ・F・ケナンである。

 当時のアメリカ国務省のなかでも、もっともロシア事情に精通した専門家であったケナンは、1944年以降、代理大使としてモスクワに戻ってきた。

 ロシア語やロシア文化を理解する者が少ない大使館での生活において、次第にケナンは孤立感を抱くようになる。多くの者は、戦争が終わってもソ連政府との協力が継続可能だと楽観視していたのだ。

 ソ連は好機を巧みに利用して、自らに有利な戦略環境を構築していた。その間、アメリカ政府は辛抱強く、ソ連の善意を待ち続けていた。ケナンは長年のロシア分析の結果を踏まえ、そのようにロシア人の善意を前提にして、ロシアとの協力を軸とした国際秩序を夢想する危険に警鐘を鳴らし続けていた。しかし、それに気がつく者は多くはない。ケナンはそれを、次のように批判する。

 「ソビエトは、ヨーロッパの再建にわれわれと実際に協力しても何の益もないことを知っていた。しかしそのような協力の可能性が、満更ないこともないように見せびらかし、その実体がはっきりするまでわれわれの建設計画実施を遅らせれば、彼らにとって利益は大きいというものであった。西側の苦悩が続くことは、それだけ西側諸国で虎視眈々と機会を狙っている共産党の思うつぼにはまるだけであろう」

ロシア人の文明論的な劣等感と不安感

 ワシントンDCの巨大なアメリカ政府機構、さらにはアメリカ世論が音を立てて回転し始めるためには、外部からの強力な心理的衝撃が求められていた。そのような衝撃を提供したのは、ケナンの「長文電報」である。

 ケナンは、1946年2月22日に、歴史を動かすことになる8000語に及ぶ長大な電報をモスクワからワシントンDCへと送った。それは、ソ連がどのような論理と、どのような動機に基づいて行動しているのかを理解するために不可欠な、アメリカ政府内ではいわば教育的な目的をもつ文書であり、政権の中枢の指導者たちにも広く読まれる結果となった。

 その電報の冒頭で、ケナンは次のように論じる。すなわち、「ソビエト連邦はいぜん敵対的な『資本主義の包囲網』の中にあり、長い目でみれば資本主義との恒久的な平和共存はありえない」

 なぜソ連は、西側諸国との協調を継続することを求めないのか。何が問題なのか。ケナンは次のように解答する。

「国際問題に関するクレムリンの神経過敏症的な見解の底には、ロシアの伝統的、本能的な不安感がある。元来これは、獰猛な遊牧民と隣合わせに、広大なむき出しの平原に住もうとした、平和な農耕民族の不安であった。ロシアが経済的に進んだ西方と接触するようになったとき、その地域のより有能で、より強力で、より高度に組織された社会に対する恐怖がその上に加わった」

 このようにケナンは、ロシア人が感じる不安を、文明論的な劣等感に由来するものであると説明した。さらにケナンは次のように続ける。

「こうした理由で、彼らはつねに外国の浸透を恐れ、西方世界と自国との間の接触を恐れ、もしロシア人たちが外の世界について真実を知るか、あるいは外国人が内部の世界について真実を知ったときに、何が起こるかを恐れてきたのである。そして、彼らは、対抗勢力との盟約や妥協の中にではなく、その完全な破壊のための、忍耐強いけれども必死の闘争の中にのみ、安全を求めることを学んできたのである」

「長文電報」の衝撃

 このようにケナンの「長文電報」は、この頃にアメリカ政府内で幅広く浸透していたロシア人との協力が可能だと信じる楽観的な思考や、国連を通じた国際協調により平和を確保できると考える安易な方針に、冷や水をかけることになった。

 この長文電報の衝撃について、ケナンについての伝記を書いたジョン・ルカーチは、次のように述べている。「電文は2月22日の休日、ワシントンの誕生日にワシントンに届いた。それはただちに回覧され、増刷され、送付され、陸軍長官、海軍長官によって読まれ、トルーマン大統領自身も目を通したようだ。歴史家たちは、長電文をまさしく合衆国の対ソ政策を転換させ、事実上冷戦の開始を促した重要な文書であり、手段のひとつだとみなすようになった」

 翌年の1947年7月にはケナンは『フォーリン・アフェアーズ』誌において、現役の政府高官であることから「ミスターX」という匿名で「ソヴェトの行動の源泉」という論文を寄稿して、より体系的にソ連の対外行動の原理を説明した。それは、世界中で多くの読者に読まれることで、国際世論と主要国の政策を大きく動かすモーターとなった。世界は、戦後初期の米ソ協調を基調とした時代から、米ソ対立を基調とする冷戦の時代へと、音を立てて回転し始めていた。

「封じ込め政策」の必要性

 ケナンはこの論文の中でアメリカ政府が採用すべき具体的な政策提言を行い、次のように論じている。すなわち、「これらの事情からみてアメリカの対ソ政策の主たる要素は、ソ連邦の膨張傾向に対する長期の、辛抱強い、しかも確固として注意深い封じ込めでなければならないことは明瞭である」

 ケナンはこの匿名論文において、そのような認識を前提としてさらに次のように明言する。「アメリカはソ連邦を世界政治における協力者としてではなく、対抗者だと考えていかねばならない」

 この論文を読んだ多くの読者は、ソ連を「対抗者」として明確に位置づけるケナンの論理に納得した。戦争終結後のソ連の行動を見る限り、それはとてもアメリカに対する「協力者」とは思えぬようなものであった。だとすれば、われわれもソ連と向き合う上での態度を変えていかなければならない。

 さらに、具体的な政策提言として、ケナンはこの論文において次のように論じる。「この事実とともに考慮されるべきことは、ロシアが西側世界全体と対比すれば、まだ遙かに弱い相手であること、ソヴェトの政策がきわめて柔軟性をもっていること、ソヴェトの社会がやがて自分の潜在力全体を弱めてしまうような欠陥をその内に含んでいるように見えることである。これらのことは、それだけ、もしロシアが平和な安定した世界の利益を浸食する兆候を示すならばどこであろうと、アメリカが、断乎たる対抗力をもってロシアに対処するために計画された確固とした封じ込め政策を、十分な自信をもって始めることの妥当性を示すものである」

 なるほど、アメリカには、「断乎たる対抗力をもってロシアに対処するために計画された確固とした封じ込め政策」こそが必要なのだ。アメリカの新しい長期的な対外戦略、「封じ込め」戦略の誕生であった。

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細谷雄一(ほそや・ゆういち)
1971年、千葉県生まれ。慶應義塾大学法学部教授。立教大学法学部卒業。英国バーミンガム大学大学院国際関係学修士号取得。慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。博士(法学)。北海道大学専任講師などを経て、現職。主な著書に、『戦後国際秩序とイギリス外交』(サントリー学芸賞)、『倫理的な戦争』(読売・吉野作造賞)、『外交』、『国際秩序』、『安保論争』、『迷走するイギリス』、『戦後史の解放I 歴史認識とは何か』『戦後史の解放II 自主独立とは何か』など。

デイリー新潮編集部

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