〈鎌倉殿の13人〉“亀の前事件”だけじゃない頼朝の華麗にして厄介すぎる女性遍歴

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政子以前のある女性

 この「うわなり打ち」エピソードは、頼朝に視点を合わせれば、その好色ぶりというか、艶福家ぶりを示す逸話でもある。21世紀の常識に照らせば積極的に評価するのは憚られるが、前近代のエスタブリッシュメントにとっては、子孫繁栄の能力は重要な「価値」でもあったので、あながち否定するわけにもいかないだろう。江戸時代前期の劇作家、井原西鶴があらわした『好色一代男』は、主人公世之介の恋愛遍歴と好色エピソードを物語化したものだが、ここでは「好色」は子孫繁栄と人生賛歌の象徴として、肯定的に描かれている。現代よりもはるかに生命の価値が軽んじられた時代だからこそ、男女の性愛は「生命の肯定」「めでたいこと」として扱われたのだろう。

 ともあれ、実際のところ、頼朝の好色ぶりはいかがなものであったか。

 記録に残る限り、頼朝の最初の恋愛は、伊豆での流人時代。地元の有力な豪族である伊東祐親が流人生活の監視役だったのだが、あろうことかその祐親が京都に出張中に、その三女と恋仲になり、千鶴という男子まで設けてしまったのだ。京都から帰った祐親は激怒し、千鶴を川の底に沈めて殺害し、娘を別の家に強制的に嫁がせてしまった。「鎌倉殿の13人」でも印象的に描かれた逸話だ。ドラマではこの女性は八重としているが、これは確実なものではなく、伝承をもとにした「命名」だ。

 この恋は成就しなかったが、そのおかげで頼朝は北条政子と出会うことになる。伊東祐親の手から這う這うの体で逃げ出した頼朝は、近在の豪族である北条時政の庇護をうけるようになったらしい。そこでもさっそく頼朝は時政の娘、政子に手を出している。やはり時政が京都に出張中のことだ。伊豆に戻ってこの事実を知った時政は、伊東祐親と同じく激怒し、政子を伊豆の目代(代官)の山木兼隆に強引に嫁がせて二人の仲を引き裂こうとした。しかし、政子は山木の館を抜け出して頼朝と「愛の逃避行」を敢行し、とうとう時政に頼朝との関係を認めさせてしまったという。

 このあたりの逸話は、あくまでも伝承レベルの話で、史実であるかどうかは確認できない。しかし、政子と頼朝が結ばれたのは事実で、それが歴史を大きく動かしてゆくきっかけになったのも事実だ。その意味では、頼朝の好色が歴史を変えたと言えなくもない。

 それにしても、1度ならず2度までも、世話になった家の主人が不在の時を見計らったかのように娘に手を出す頼朝も困ったものだが、伊東と北条のオヤジさんたちも、あまりに脇が甘いのではないか。

「亀の前事件」にも懲りず

 先述の「うわなり打ち」の原因となった亀の前との浮気のさなか、すなわち政子の妊娠中に、頼朝は別の女性にも艶書を書いて秋波を送っていた。同じ清和源氏の一族である新田義重の娘だが、実はこの娘、平治の乱で命を落とした頼朝の兄、悪源太とのあだ名をもつ源義平の未亡人だった。幸いにして、新田義重は政子の怒りを恐れて娘をさっさと別の家に嫁がせてしまったので、それ以上に発展はしなかったようだ。娘が見初められたのを利用して、政治的に栄達を図ろうと考えても不思議ではないが、義重という人物はあまり野心のない、常識人だったようだ。

 新田の娘に艶書を送りながらも、頼朝の「本命」は亀の前だったようだ。しかし、政子による「うわなり打ち」でその“野望”も潰えた。さすがの頼朝も懲りたろうと思いきや、その4年後の文治2年(1186)、頼朝は幕府の御所に仕える女官の一人、大進局を寵愛し、男子を産ませている。のちに出家して貞暁と呼ばれる子だ。頼朝は、現代でいえば職場の部下の女性に手を付けたことになるわけで、まことにもって不適切な関係なわけだが、当時は珍しくもない関係だったようで、特に非難を受けるようなことはなかった。妻の政子は、その前の年に第三子となる乙姫を出産しているので、またもや妻の妊娠中を狙っての浮気だったのだろう。

 しかし、政子は夫の浮気を黙って見過ごす女性ではなかった。この年の10月、御家人の長江景国が大進局の子をかくまっていたことが発覚すると、政子は怒りの矛策を景国に向ける。政子の大叱責を受けた景国はどうやら失脚をしたようで、その後の行方は分からなくなってしまった。まさか殺されたわけではないと思うが……。

 そしてその5年後、おそらく政子の抗議を受けた頼朝が音を上げたのだろう。大進局は伊勢国(三重県)に所領をもらって鎌倉を去り、京都で残りの生涯を送ったという。

 ちなみに大進局の子どもが生まれたころ、頼朝の怒りを買って逃亡中であった弟義経の愛妾、静が捕らえられて鎌倉に移送されてきた。静は鶴岡八幡宮で舞を披露した際、即興で義経を想う歌を口にし、頼朝の怒りをかった。すぐにでも静を処刑しようとする頼朝を政子が諫めた。かつては自分も父親の反対を押し切って頼朝と「愛の逃避行」を行ったではないか。夫を想い慕うのが貞女というもの。静に対して怒りを向けるのはお門違いだと。

 政子が女性同士の心理的な「共感」や「連帯感」をアピールしたとされる逸話だが、大進局と頼朝の関係、隠し子のことを考えあわせると、頼朝を痛烈に非難した言葉とも受け取れる。「夫(義経)を想う静をとがめる資格が、あなたにはあるのか!」と。

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