ジャイアント馬場の野球選手時代、実はすごかった? 2軍で見せた驚異の成績と不運(小林信也)

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中退して巨人へ

 高校2年になると、思いがけないギフトが贈られた。馬場の才能を惜しいと感じ、また野球部に入らない本当の理由を知った野球部長の渡辺剛が、馬場の足に合わせた特注シューズを作って渡してくれたのだ。

 足に合うスパイクがあるのなら、もう我慢する理由はない。入部した馬場はたちまちエースになり、練習試合で部初の7連勝を記録するなど、一気にチームを勢いづけた。1試合18三振を奪った試合もある。身長2メートルの快速球投手・馬場の活躍はうわさとなり、スカウトの目に留まった。そして、野球を再開して1年も経たないその年のオフ、高校を2年で中退、巨人軍に入団した。

 期待されながら、巨人ではほとんど活躍できなかったことは誰もが知るところだ。長岡の野球少年だった私は、幼い頃から彼の「残念な伝説」を大人たちから聞かされて育った。

「プロ野球では、大きいだけで全然活躍できなかった」

「巨人から大洋に移った後、風呂場で転んで肩を痛めて引退したんだ」

 それが、当時の大人たちがテレビのプロレス中継に登場する馬場を見ながら呟く「投手・馬場」への繰り言だった。だから、投手としては三流で、巨体だけを見込まれてプロに入ったが「箸にも棒にもかからなかった」というイメージしか、私の中にはなかった。ところが18年前、出版社に依頼され、馬場の人間的な側面を取材し始めてそれが失礼な誤解だと知らされた。地元の大人たちが語る伝説は、半分は正しく、半分は自分たちの劣等感や挫折感から増幅された作り話のようだった。調べれば調べるほど、馬場は投手としても大成する可能性を十分に秘める大器だった。

 魔球フォークボールで一世を風靡した杉下茂からも聞かされた。

「よく覚えていないんですが、私が200勝を挙げた試合で投げ合った相手は、あのジャイアント馬場さんだったんですよ」

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