中畑清の代役で…プロ1号が「満塁ホームラン」となった球史に残る選手たち
1軍初出場でグランドスラム
プロ野球が開幕して1ヵ月余り。楽天のドラフト2位ルーキー・安田悠馬が3月29日のオリックス戦で、新人1番乗りのプロ1号同点弾を記録したのをはじめ、鵜飼航丞、石川昴也(いずれも中日)、三森大貴(ソフトバンク)と、プロ入り後、初めて放った本塁打でチームの勝利に貢献した選手が相次いでいる。そして、過去にも記念すべきプロ1号でヒーローになった選手は数多く存在する。今回はプロ野球ファンの記憶に残る選手を取り上げたい。【久保田龍雄/ライター】
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プロ初打席が満塁本塁打というNPB史上初の快挙を成し遂げたのが、巨人時代の駒田徳広である。1983年4月11日の大洋戦、プロ3年目の駒田は、試合前の練習で右手尺骨を痛めた中畑清の代役として、急きょ7番ファーストで1軍初出場をはたした。
1回裏、2点を先制し、なおも1死満塁のチャンスで、背番号50の駒田にプロ初打席が回ってきた。カウント2-1から右田一彦のカーブを一振すると、快音を発した打球は、チームの勝利を決定づけるグランドスラムとなって右翼席に突き刺さった。
MLBでも当時は1898年のビル・ダグリビー(フィリーズ)の1例しかなかったNPB史上初の快挙に、王貞治助監督らがベンチを飛び出し、20歳のヒーローを本塁付近でもみくちゃにする騒ぎとなった。
だが、本人は「打たれた右田さんのほうが緊張してましたよ。イースタンでも(7安打中3安打が右田から)相性が良かった。だから、気楽なもんだったすね」とケロッとしていた。
“満塁男”
さらに強運は続く。3回の2打席目にも2点タイムリー二塁打を放った駒田は、5回には振り逃げで出塁して9点目に貢献するなど、4打数3安打6打点の大当たりだった。
そして、この日の衝撃デビューがきっかけで、駒田は54番の槙原寛己、55番の吉村禎章とともに“50番トリオ”と呼ばれ、同年は打率.286、12本塁打、47打点の成績で、チームの2年ぶりVに貢献した。
駒田は翌84年5月2日の大洋戦でも、シーズン1号となる満塁弾を放ち、再び“満塁男”をアピールする。いつしか相手投手は、満塁で駒田を打席に迎えると、意識するあまり、甘いコースに失投して打たれる場面も多くなった。通算満塁本塁打も歴代5位タイの13本に達した。
「もともとチャンスに強い打者ではなかった」という駒田が、通算2000安打以上を記録する大打者になれたのは、やはりプロ初打席での満塁本塁打という最高の結果が、その後の運命を大きく切り拓く原点になったからにほかならない。
ちなみに、ダイエー新人時代の井口資仁(現ロッテ監督)も、プロデビュー戦となった97年5月3日の近鉄戦で、これまたNPB史上初のデビュー戦でのプロ1号満塁弾を放っている。
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