実験が明らかにした「オンラインの会話では共感が起きない」 原因の一つは「視線のズレ」か
子どもたちを使った「人体実験」
現在、小中学校の児童生徒に1人1台の学習用端末を配るGIGAスクール構想が進められています。しかし、OECD(経済協力開発機構)の国際学力調査PISAによれば、学校にコンピューターが配置されればされるほど子どもの数学の成績は下がるという相関関係が見られます。国語の読解力においても、授業中のオンライン使用頻度が高いほど成績が下がっている。
こうした負の面が指摘されている一方、教育の場においてオンラインを多用することの「楽さ」以外のメリットを示す客観的なデータは存在しません。にもかかわらず、国はGIGAスクール構想を大々的に進めている。これは、未来のある子どもたちを使って壮大な「人体実験」をやっているに等しい。空恐ろしいことではないでしょうか。
オンライン教育化が進むコロナ禍で多感な時期を過ごした子どもたち。将来、彼らに「ゆとり世代」ならぬ「コロナ世代」とレッテルを貼られるような“後遺症”が出ないことを願うばかりです。
「不信の社会」
ここまで見てきたように、一方にはオンラインが社会全体にもたらすコミュニケーション障害というリスクが存在する。そして他方には感染リスクがある。現在、後者のリスクの前で前者のリスクが顧みられることはありません。しかし、もちろんオンラインコミュニケーションによるリスクそのものが消えてなくなったわけではなく、ただ見ようとしていないに過ぎない。本来は、両リスクのどちらをどれだけ重視すべきなのか、社会的な合意が必要だと思うのですが、議論にすらなっていません。
ポストコロナ時代は、リアルな対面コミュニケーション重視に戻るべきだと思います。そうでなければ、人類が進化の過程で獲得してきたラポールに基づくコミュニケーションによって社会を形成していくことが難しくなるでしょう。そこに待ち受けているのは相互信頼関係が衰えた「不信の社会」かもしれません。
このまま楽なオンラインコミュニケーションにどっぷりと浸かり続けるとどんなリスクが待っているのか、冷静に考えるべき時期に来ていると思います。今一度、人間の真理としっかりと向き合うべきでしょう。
人は易きに流れる。そして……。
Use it or lose it.
[5/5ページ]