カムカムエヴリバディでも触れない違和感 NHKが一切認めようとしない戦争責任

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 NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」が終わってから、10日以上が過ぎた。素晴らしいドラマであった半面、唯一にして重大な問題点があったと考える。ヒロインたちとラジオの物語であり、平和への祈りも織り込まれていながら、戦前は唯一のラジオ局だったNHKの戦争責任に一切触れなかった点だ。

 朝日、毎日、読売などの新聞各紙の場合、敗戦後に紙面で戦争責任を認め、反省の意を表し、出直しを誓った。その後もたびたび自分たちの責任を検証している。

 一方、新聞と同じく敗戦時まで国民を大きくミスリードしたNHKが、組織として戦争責任を認めたことは一度としてない(参照:NHK放送文化研究所「放送研究と調査」2017年8月号)。

 戦争責任について触れないのはNHKの不文律であるらしい。それは残念ながら「カムカム」でも貫かれた。戦時下、大本営が発表した「連戦連勝」がウソで、それをNHKが垂れ流していたのは誰もが知る通りだ。NHKは国民の戦意を煽り続けた。

「カムカム」はヒロインたちとラジオの物語でもあったので、間違った報道に対する初代ヒロイン・橘安子(上白石萌音)たちの言葉があって然りだった。戦前を知る人たちは口々に「ラジオと新聞がウソをついていた」と言っていたのだから。まして安子の夫である雉真稔(松村北斗)は戦死しているのである。

ヒロインたちとラジオの物語

 このドラマの第1話はNHKの前身である東京放送局(JOAK)のアナウンサーの声で始まった。

「あーあー、聴こえますか」

 日本のラジオ放送が始まった1925年3月22日のことだ。その日、安子は生まれた。この朝ドラがヒロインたちとラジオの物語になることが最初から指し示されていた。

 同じ第1話。安子の祖父で和菓子店「たちばな」の創業者である杵太郎(大和田伸也)はラジオを買う。ラジオを聴く時、家族も従業員もうれしそうだったからだ。

 当時、ラジオから流れていたのはエンタツ・アチャコの漫才「早慶戦」や藤山一郎の歌「丘を越えて」。ラジオと国民が幸福な関係にある時代だった。

 だが、そんな時代は長くは続かない。第3話、ラジオは1939年5月の「ノモンハン事件」を伝えた。ここからラジオと戦争の関係がドラマで描かれ始めた。

 同じ第3話で14歳だった安子は稔からラジオの「実用英語会話」を聴くよう勧められる。ところが、同じ1939年9月になった第6話で「実用英語会話」が流れなくなってしまう。

 それを安子が稔に手紙で伝えると、日本の同盟国・ドイツがイギリスと開戦したため、敵性語である英語を教える番組も打ち切られたのだろうと説明された。史実の通りだった。このドラマは実にリアルだったのだ。

 その後、安子は放送打ち切りを免れた「基礎英語講座」で英語の勉強を続けた。だが、日米が開戦した1941年12月8日を最後にこちらも放送が打ち切られた。第10話のことだった。

 同話のニュースは日米開戦をこう伝えた。
「臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表、帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」

 一言一句、当時のニュースと違わない。やはりリアルなのである。このドラマは史実に忠実なのだ。

 ところが、戦時中のミスリードになると、途端に歯切れが悪くなる。戦後の国民のラジオ不信には触れようともしなかった。

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