娘の受験失敗で新興宗教、「教祖の愛人」になった妻 6年ぶりに帰ってくるも新たな不幸が…52歳夫が語る後悔
人生、一寸先は闇だ。頭ではわかっていても、実際、闇に落ちたとき冷静な判断ができるかどうかは定かではない。何でもない日常が当たり前だった男性に突然襲った夫婦の闇とは。【亀山早苗/フリーライター】
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「今はまだ、精神的に不安定なところがありますね。私の結婚生活は何だったのか……。冷静に振り返ることはできませんが、話すことで少し整理ができるかもしれないと思いまして」
小柳忠輔さん(52歳)はそう言って少し笑った。目尻が下がって人のよさそうな素顔が垣間見えた。
昨年、妻が亡くなった。結婚生活は21年間に及んだが、そのうちの3分の1近くは別居状態だったという。
「妻は非業の死を遂げた。私はそう思っています」
忠輔さんが結婚したのは30歳のとき。相手は友人の結婚パーティで知り合った2歳年下の珠美さんだ。忠輔さんが一目惚れし、つきあって1年で結婚した。
「全身の雰囲気がとても素敵だったんです。今でも一目見たときの印象を昨日のことのように覚えています。それこそ、電流が走ったような感じ。この人と一緒になるために生まれてきたんだと思った」
珠美さんはまじめで几帳面なタイプだった。何か話していても、「それはどっちが悪いの?」と聞いてくる。善悪がはっきりしないことを嫌った。自分はいつでも正しく生きていきたいと言ったこともある。
「そのころは私も若かったから、人生、グレーゾーンも多いし、誰も悪くなくても不幸なことが起こることはあるとわかっていなかったのかもしれません。珠美なら、落ち着いたいい家庭を作れる、そして私が裏切られることはないと信じたんです」
というのも忠輔さんは、その3年ほど前、3年近くつきあって結婚を視野に入れていた彼女にふたまたをかけられたあげく手厳しくフラれたからだ。両天秤をかけられて捨てられ、悲しいというよりプライドを傷つけられた痛みが残った。だから結婚するなら、絶対に浮気しない女性をと望んだのだという。
「母乳が出ない」 自分を責めた妻
結婚生活はごく普通に始まった。珠美さんも仕事を続けたが、極力残業を避けて帰宅、食事を作ってくれた。
「無理しなくていいと何度も言いました。待ち合わせて外食だっていいし、デリバリーだって買った弁当だっていい。週末だけ一緒に作ろうと提案しましたが、珠美は『あなたにおいしいご飯を食べさせなければ、何のために結婚したのかわからないでしょ』って。ありがたかったけど、正直言って少し重かった。義務のように自分をすり減らして私のために作る彼女が、なんだか痛々しくて」
彼が飲み会に行くのもいい顔をしなかった。栄養が偏る、規則正しい生活をしたほうがいいと杓子定規なことを言われてムッとしたこともある。
「もし風邪でもひいたら、『だから言ったでしょ』と言われそうな恐怖感がありました。私の母親は、非常におおらかというか、高校生くらいになったらもう干渉してきませんでしたから、珠美の過干渉がうれしいようなつらいような……。妙な感覚でしたね」
31歳のとき長女が産まれた。珠美さんは育児書に書いてある通りに子育てをしようとしたが、子どもはそうはいかない。母乳が出づらく、どうがんばっても母乳だけでは育てられないとわかったとき、珠美さんは自分を責めた。
「うちの母親が『この子だって母乳でなんて育ってないから、大丈夫よー』と励ましたのですが、珠美はそれを受け止められない。あげく長女は神経質なところがあって哺乳瓶が大嫌い。スプーンで飲ませるとたくさん飲むんですが、するっと哺乳瓶に変えるともうダメ。近所の小児科に相談すると『お腹がすけば飲むだろうから、一晩、預かってあげる』と言ってくれた。でも音を上げたのは医師のほう(笑)。この子は頑固だわー、飲まないからスプーンであげたらたくさん飲んだわよって。めんどうだけどしかたがないと私は受け入れました。夜は私が面倒を見るからとがんばりました。ただ、珠美は『この子は普通じゃない』とそればかり愚痴って……。まじめすぎて切り替えができないんですよね」
生後1年で保育園に預けて珠美さんも職場復帰したが、結局、「完璧に両立しなければ」というプレッシャーで自らつぶれて退職し、近所でパート仕事をすることになった。
「しばらく仕事をしなくてもいいんじゃないのと言ったんですが、『すべてあなたに寄りかかるのは違うと思う』とフルタイムで働いていましたね。がんばりすぎる人って、がんばることに頑固だから気を抜けないんだなあと思っていました」
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