東京五輪女子バスケ主将・高田真希が語る“快進撃”の理由 空手の経験もプラスに(小林信也)

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残り35秒のドラマ

 コロナ禍で東京五輪は1年延期された。

「1年前なら勝てたかもしれないのに、という声が周囲にはありました」

 高田が言う。193センチのエース渡嘉敷来夢が右膝のケガで不在。司令塔だった33歳の吉田亜沙美は引退。しかし高田は、「個々の力よりチームの力で勝つバスケの魅力」を信じていた。

 そして勝負の東京五輪。

「やはり初戦のフランス戦が大きなカギでした。同じグループにアメリカもいる、ひとつも負けられない」

 その試合、11本の3Pを決め、平均身長で9センチ高いフランスを破った。

「リオの経験が大きかった。ずっと夢に見てきたオリンピックを楽しめた。だから東京でも楽しみたい! みんな楽しんでいましたよ」

 それは主将の高田が発したエネルギーがチームに伝播したからではないか。

「一人ひとりやることが明確だから迷わなかった。3Pを決める選手、相手のエースを抑える選手。みんな自信を持って臨めました」

 決勝に進むまでは薄氷を踏む勝利もあった。思い出すのは準々決勝のベルギー戦。先行を許し、懸命に追いすがる展開。終盤残り35秒でまだベルギーに2点リードを許していた。83対85。しかし、選手たちは動じていなかった。

「シミュレーション・ドリルで、例えば残り40秒で2点差といった練習を繰り返し重ねていましたから、あの場面で何をすればいいか、みんなわかっていました。最後は林咲希が慌てずしっかりフェイクを入れて3Pを決めてくれました」

 残りは15秒。相手の攻撃を抑えれば準決勝進出だ。

 終了直前、正面の位置から相手がシュート体勢に入った。その時、とっさに左手を上げてシュートブロックに跳んだのが高田だった。鋭い動きに圧されたように、ボールはリングに当たって跳ね返った。その瞬間、試合終了のブザーが鳴った。高田が振り返る。

「あの時も冷静でしたね。本来はリバウンドに備えなければなりません。でも、残り時間がなかったから、私はマークすべき相手を置いてブロックに跳べた」

 わずか1秒、2秒の間を高田は身体で感じていた。そしてシュートブロックにいった。会心のプレーだった。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

週刊新潮 2022年4月21日号掲載

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