野村克也、知られざる「空白の3年」に迫る 「あの頃が一番楽しかった」と語った理由とは
高めのボールの打ち方を聞かれた野村監督は…
チームの投手コーチだった萩原康もまた、野村の目線を下げた指導に驚いた一人である。キャンプ中のある日、打撃練習で「高めのボールはどうやって打つんですかね?」と素朴な質問をした選手がいた。
萩原が振り返る。
「監督はプロ野球史に残る強打者じゃないですか。『そんなのも分からないのか。こうやって打つんだよ』と上から目線で答えると思っていたんです。ところが『うーん』と考え込んだまま、どこかに行っちゃって」
翌朝のミーティングで野村は真摯に話し始めた。
「(昨日の質問について)あれからずっと考えていたんだけど、俺の考えはな……」
萩原はその姿勢に感銘を受けたという。
「これだからアマチュアは……と言うんじゃなくて、僕らの質問を受け入れて、しっかり答えてくれた。そんなところから『何とかこの人を日本一にしたい』という意識が、芽生えてきたと思うんですね」
年賀状が届かなかったことを問題視
「新たな挑戦を楽しむ」「目線を下げる」というと、意地悪く見る向きは単に殊勝にしていただけでは、と思われるかもしれない。しかし、決してそんなことはない。最も大事にしている軸は全くぶれるところが無かった点も強調しておきたい。
中でも「人間的成長なくして技術的進歩なし」という持論は徹底的に貫いた。
就任直後、選手たちとの初対面の場面だ。野村はチームを前に訓示を始めた。すると、いつしか話題は野球から離れ、選手たちの年末年始の習慣へと及んだ。
「この正月、君たちからは一通も新年のあいさつが届かなかった」
怒気をはらんでいた。野村はナインから年賀状が全く届かなかったことを問題視したのだ。
「年賀状は、今は何で必要かという声もあるが、世話になった人に感謝の気持ちを伝えるためにも必要。日本のいい風習だ」
野球だけやっていればいい、強ければいい。目指すべきチームはそのようなものではないと、まずナインの意識に植え付けたのだ。
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