野村克也、知られざる「空白の3年」に迫る 「あの頃が一番楽しかった」と語った理由とは
「何て優しい人なんだろう」
銀座にキタにミナミと華やかな夜の世界を知り尽くした野村だが、ライバルチームの監督に誘われると、千葉・船橋の雑居ビルの飲食店へと足を運び、同じ東京地区のアマ監督同士で楽しいひとときを過ごした。距離は一気に縮まった。
新たな挑戦をする他者に対しても優しかった。2005年、タレントの萩本欽一が自ら監督として、野球のクラブチームを設立する。「欽ちゃん球団」として知られる茨城ゴールデンゴールズだ。
この時、企業チームからは冷ややかな声も聞かれた。芸能人にいったい何ができる。俺たちは都市対抗出場に向けて、命懸けでやっているのだ――。しかし、野村の反応は全く異なるものだった。感想を求めた私に野村は笑顔でこう語った。
「練習試合、ぜひやりましょう。欽ちゃんが率いるクラブチーム、大いに結構。大歓迎だ」「野球は結果論。作戦は臨機応変だし、決まりはない。勢いがついてしまえば勝負は分からないよ」
この野村の姿勢は欽ちゃんを勇気づけるものだった。今回、取材に対して萩本は次のように答えている。
「球団を始めたころは、正直どこに向いて進んだらいいか分からなかったんだ。そんな時に野村さんが『大歓迎だ』と言ってくれたでしょ。あの言葉を聞いて、何て優しい人なんだろうと思ったよね」
上から目線を排す
「ID野球」を標榜して日本シリーズを3度制覇した野村は、シダックス監督就任前、ナインにとって雲の上の人だった。だが就任後、居丈高に助言を行うことはしなかった。自らの目線を下げた上で、ナインのプレーや性格を観察し、言葉のキャッチボールを繰り返した。コーチ陣の話にも積極的に耳を傾けた。上から目線で接することはなかったのだ。
それを象徴するのは当時27歳だった大型外野手、黒坂洋介が明かしてくれたキャンプ初日の逸話だろう。現在、昌平高校(埼玉)の監督を務める黒坂は、野村とのファーストコンタクトをこう振り返った。
「僕は若白髪だったんで、普段から黒に染めていたんです。キャンプ初日のアップ中に『さあ頑張ろう』と思っていたら、監督に呼ばれて。『何で呼ばれたか分かるか?』と言われたんです。『いいえ』と答えたら、『茶髪や』と。白髪染めをしていたので、日光に当たると、赤くなっていたんですね」
「茶髪、長髪、ヒゲは厳禁」は野村野球の基本。黒坂は不本意ではあったが「すいません」と謝った。すると翌朝、選手宿舎のエレベーターで野村と偶然一緒になった。野村は神妙な表情で黒坂に言った。
「ごめんな、昨日は。白髪だったんだな。身体のことを言って、申し訳なかった」
黒坂の事情を知った監督は、相手が選手であろうと、素直に頭を下げたのである。
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