ロシア製核爆弾の原点、プーチンが最高の勲章を与えたスパイ「デリマル」の正体

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ポロニウム210

 コワリは休暇のたびにソ連のエージェントに会って、原爆の機密情報を渡していた。

「1945年6月、コワリは米軍から信頼を得て、オハイオ州デイトンにある放射性物質ポロニウム210の精製工場に派遣されます。ポロニウム210は核分裂反応を誘発する物質で、原爆開発のカギとなるものでした」

 1945年8月、広島と長崎に原爆が投下直後、コワリは原爆の被害を調べる調査団のメンバーにも任命された。もっとも、調査団に人体への放射能への影響を調べる専門家を新たに入れることになり、コワリは最終的に来日しなかったが、米国からかなり信頼されていたことは間違いない。

「コワリは1945年12月から46年2月にかけて、アメリカは原子爆弾の誘発剤としてポロニウム210を使っていることを断続的に伝えました。これはソ連の原爆開発を飛躍的に前進させる最高機密情報でした」

 ちなみに、ウランの100億倍の放射能を発するポロニウム210は、プーチンが元KGB職員で反体制活動家のリトビネンコを2006年11月に暗殺させたときに使われた物質である。

「第二次世界大戦後米軍を除隊。その後ニューヨークに残ってソ連からの指示を受けスパイ活動を続け、1948年に帰国します」

 1949年8月、コワリの送った情報を基にして、長崎に投下された「ファットマン」のコピーを製造、ソ連は初めて核実験に成功した。

「その後、モスクワ化学工科大に戻って研究を続け、1953年から教鞭を執り、静かな余生を送ったそうです。彼はロシアの諜報機関に、スパイとして活動したことは死後まで公にしないように要請していました。そのため、ほとんどの人は彼の功績を知らなかったのです」

それにしてもプーチンは、なぜ2007年に突如、コワリを表彰したのだろうか。

「2007年に外事1課の分析班は、コワリを表彰した理由を調査しました。それによると、プーチンは、コワリのことがまだ一般には知られてなかったので、偉大な彼の功績を称えるために表彰したのです。アメリカを牽制するという政治的意味合いはなく、心の底からコワリへの感謝の念を示したかったようです」

 ウクライナ侵攻で核の使用をちらつかせているプーチン。彼にとってコワリは、ロシアのために尽くした英雄ということなのだろう。

勝丸円覚
1990年代半ばに警視庁に入庁。2000年代初めに公安に配属されてから公安・外事畑を歩む。数年間外国の日本大使館にも勤務した経験を持ち数年前に退職。現在はセキュリティコンサルタントとして国内外で活躍中。「元公安警察 勝丸事務所のHP」https://katsumaru-office.tokyo/

デイリー新潮編集部

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