ソ連時代から続くロシア「戦争犯罪」の歴史 捕虜約2万2千人を大量殺害
事実に基づく映画「カティンの森」は、ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダが齢80を超えて撮影した作品だ。衝撃的なラストは語り草であり、一度観れば、二度と忘れることはできない。現在、ウクライナで進行している惨劇は、その場面と見紛うばかりなのである。
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ワイダ監督は、その映画の構想から50年の時を要したのだが、それには理由があった。監督が“カティンの森事件”を知った1950年代、“真実”を語るのはタブーだったのだ。
独ソ不可侵条約を結んだドイツとソ連は1939年9月、ほぼ同時に西と東からポーランドに侵攻。約1カ月の戦闘を経て、ドイツが西部を、ソ連が東部を統治することになった。
惨事は翌年4月から7月にかけて、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの三つの地域に跨(またが)って起きた。スターリンはそれらの場所で、ソ連秘密警察NKVDに命じ、捕虜として捕えていたポーランド将校及び知識階級約2万2千人を一斉に大量殺害したのだ。
特に、ロシア西部の都市、スモレンスク郊外にあるカティンの森では、約4500人の捕虜が銃殺された。事件の名のゆえんである。
戦争犯罪人の系譜
後に調査団がその森で目にしたのは、死体でいっぱいになった深さ2~3メートルある八つの集団墓穴だ。その埋葬の仕方等には共通のパターンがあって、遺体は頭部に冬外套を被り、両手は背中で縛られ、9~12層に積み重ねられていた。また、例外なく後頭部を撃ち抜かれていたともいう。
事件から82年後、ウクライナはブチャの路上に放置されていた亡きがらと、その銃創や後ろ手に縛られた様は似通っている。だが、相似はそれだけにとどまらない。
ロシア史が専門の松里公孝東京大学法学部教授が言う。
「社会主義圏では長年、事件は“ナチスドイツがやった”と宣伝されてきました。ゴルバチョフの時代になって、ようやく公正な調査が行われ、事実を認めるに至ったのです」
ロシアが自国の殺りくをデマだと喧伝する今日の姿を想起せざるをえないのだ。
元産経新聞モスクワ支局長の佐々木正明大和大学教授は、
「ロシアは民間人の被害などについて、ウクライナの“自作自演だ”と主張していますが、プーチンが国民から支持を失わないためにそう説明しているだけです」
と、喝破する。まさにうそつき「戦争犯罪人」の系譜は、脈々と受け継がれているのだと言うほかあるまい。
映画は悲劇を観る者に刻印するように、克明な銃殺シーンで終わる。今、ウクライナで起きている事実からも、我々は目を背けてはならないのだ。