刑事に囲まれカツ丼を平らげたひで子さん 「そのうち真相がわかると心配していなかった」【袴田事件と世界一の姉】

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女癖の悪かった橋本専務

 逮捕当時のマスコミは、巖さんについて盛んに「女癖が悪い」とした。だが被害者には申し訳ないが、女癖が悪く複数の愛人がいたのは巖さんではなく、殺された橋本藤雄専務だ。噂レベルの話ではなく、静岡県警の捜査報告書(1968年2月印刷)は、専務と交際のあった女性2人を実名で記録している。

 A子さん(29)については、

《昭和37年ごろから被害者の専務とねんごろになり、たびたび旅館で同衾していたが、昨年Nと結婚してからもバーなどに呼び出し、交際を続けている事実がある上に、Nの同僚が仕事で被害者の工場に出入りしたこともあって、夫婦に疑いがもたれたがアリバイがあり、結婚後の交際もきれいであって容疑は解消した。》

 独身のB子さん(22)について、

《昭和40年8月から交際をはじめ、時々バーに呼んだり旅館に呼んで宿泊したりして事件直前まで交際を続けていた事実があったので強力に捜査を行ったが容疑のあるものは発見されなかった。》

 さらに「橋本一家に対する痴情、えん恨の捜査」としてこう記す。

《被害者宅の近隣からの聞き込みによると、被害者宅は近隣とのつき合いが悪く、寄付金などは一度も出したことはなく、近隣の風評はよくない。また専務は女好きで夜間の外泊が多いことなどから夫婦間の折合はよくなく、従って家庭も円満を欠いていた。(中略)

(ア)商取引については、従来会社と取引していた石油販売店が30万円余の出血で重油タンクを設置してやったにもかかわらず、タンクが出来上がったとたん他の業者に変えたという聞き込みがあったので捜査したが、専務に対する恨みはあったが、本件を敢行するまでの動機もなくアリバイについても成立し、容疑の点は見られなかった。

(イ)また前述の専務が妾同様にしていたものに、A子(29)(筆者による仮名・報告書では本名)という女があった。この女にはN(25)(同)という夫があり、夫の留守を狙っては専務とあい引きしているので、Nについて専務に対する怨恨関係を捜査したが、Nは清水市内の会社でボイラーマンをしていたが、勤務状態もよく、事件当時のアリバイも成立して本件の容疑はなかった。

(ウ)その他、専務が出入りしていた飲食店、バー、旅館などについてきめ細かい捜査を実施して、専務と交際のあった者について掘り下げた捜査をしたが、容疑のあるものはなかった。》

事件直前の逢瀬

「袴田巖さんを救う清水・静岡市民の会」の山崎俊樹事務局長は十数年前、袴田弁護団の小川秀世事務局長とともに女性らを「直当たり」した。

 ある女性は、山崎さんが「橋本さんのことでお伺いしたい」と切り出すと「帰ってください」とけんもほろろだったが、B子さんは「当時婚約していたので、もう関係はなかった」などと語っていたという。山崎氏は「橋本専務の女好きは清水市では有名だったみたいです。事件の前日(1966年6月29日)の昼間、橋本専務は清水の『天文』という鰻屋で、懇意にしていた西宮(にしみや)日出男さん(巖さんの面倒を見てくれた酒店店主)ら3人で食事していた。その日から伊豆に一泊の温泉旅行する予定だったが、西宮さんが漁船への酒や食糧の仕込みで忙しくなり解散した。橋本さんはそこから、以前、巖さんが勤めていたキャバレー『太陽』の近くのホテルに愛人と消えていったそうです」と語る。おそらくB子さんだ。橋本専務が家族もろとも災難に遭い落命したのは帰宅して間もなくだった。

 2005年に山崎氏とともに西宮氏をインタビューした「市民の会」の楳田民夫会長の記録には、(1)橋本さんは酒が好きで、西宮さんとも呑み友達であった。夕方から飲み始め、いつも西宮さんは10時には帰宅した。橋本はそれからプロの女性と付き合うこともあったが朝帰りする人でなく12時には帰宅する人であった。女性とのつきあいはお金で解決していた。(2)橋本さんは賭け事をする人でなく、暴力団とのトラブルの話も聞いたことがない。などと書かれている。

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