刑事に囲まれカツ丼を平らげたひで子さん 「そのうち真相がわかると心配していなかった」【袴田事件と世界一の姉】

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警察署で平らげたカツ丼

「巖に人殺しなどできるはずない」と信じるひで子さん。とはいえ仲の良かった姉弟が離れて暮らして長い。ひで子さんは「私が知らない世界で関わり合いにならなければいいことに巻き込まれたのか、と若干の心配はあった。でも中瀬(現・浜松市北区)の親の所に帰省した巖が近所の人と普通に話す姿を見て、そんな心配も消えました。人を4人も殺してすぐで普通じゃおれんでしょ」と振り返る。

「親の所に巖が清水から週末に帰る時は、必ず刑事が付いてきたけど、こがね味噌の従業員とかはみんな尾行されてると思っていた。そのうち、終わった話と思っていた」(ひで子さん)

 巖さんの逮捕の日、アパートにやってきた刑事は、「弟さんの件で調べさせていただきます」と家宅捜索を始めた。

「あれこれ探していたけど何も出てきやしません。警察は仕方なく巖が持ってきてくれた味噌だけ持っていきましたよ」(同)

 ひで子さんは、浜松中央署で参考人聴取された。

「巖の女性関係だとか、借金だとかあれこれ聞かれたんでしょうが覚えていませんね。昼になって刑事から『食事にしませんか?』と言われ、カツ丼を刑事と一緒に食べたのを覚えていますよ」と快活に笑った。

 弟の逮捕は何かの間違いだとしか思っていないため、そのうち真相がわかるとさほど心配しなかった。といっても普通の女性ならそんな状況では食事など喉に通るまい。男の刑事に囲まれてカツ丼を平らげるひで子さんは当時33歳。やはり若い頃から「傑女」である。

「母(ともさん)も長男の茂治も長女のと志子も、二女のやゑ子もそれぞれ別の警察署で聴取されていた。次男の實だけは伊豆急行の寮に住み遠かったせいか聴取はなかった。父は55歳の時から中気(脳卒中などから腕や足が麻痺する病気の俗称)で寝たきりでした」(同)

「平然と味噌づくり」と週刊誌

 巖さん逮捕直後の『サンデー毎日』(1966年9月4日号)は、「ドロはかぬ元ボクサー 一家四人強殺の証拠は十分」と題しこう記した。

《容疑者は取材ですっかり顔なじみになった新聞記者たちに手を振り、あいきょうをふりまきながら警察へ出頭していった。八月十八日早朝のこと。静岡県清水市の「こがね味噌専務一家四人強殺、放火事件」の重要参考人として、清水署に任意出頭を求められた袴田巌(三〇)だった。捜査本部は、(1)犯行手口が残忍で一家みな殺しをはかっている(2)現場から同社作業員用の雨ガッパが発見された(3)同家には二十九日夜、従業員に支払う給料約五十万円があった……。などから内部犯行と断定、五日目の七月四日、犯行現場近くの同工場内の家宅捜索を行った。(中略)本部は、パジャマの血液と油、放火現場から採取した油などの鑑定を急ぐ一方、五十日間にわたり徹底した身辺捜査を続けた。その結果、(1)パジャマには袴田のB型血液以外にA型(藤雄さんと同型)、AB型(雅一朗君と同型)の二つの血液が付着していた(2)放火した油は混合油(ガソリン一八対オイル一)で、パジャマのズボンについていた油と同一(3)工場内から犯行前夜同じ混合油六リットルが盗まれていた(4)袴田に犯行当夜のアリバイがなく、金に困っていた……など有力なる証拠、情報が集まった。》

『週刊読売』(1966年9月2日号)にはこうある。

《袴田は「とんでもないぬれぎぬだよ。おれがやったんなら、血のついたパジャマは部屋などに置くもんか。こうなったら、刑事になったつもりで真犯人をとっつかまえてやるぜ」といきまいた。そして、その後四十五日間、なんの悪びれもみせず、平然とみそ作りに精出していたのである。警察当局は、袴田が血液型の弁解ができないこと自体、自供したも同然のことではないかと強気で、犯行否認のまま送検、検事拘留もとれたが、凶器の販売先もわかっていない現在(二十二日)もし自供がえられなかったとしたら血液型と油の成分分析という純科学的な証拠だけで、公判維持が可能かどうか。二俣事件、幸浦事件、丸正事件など苦い経験を持つ静岡だけに、これから先が注目される事件ではある。》

 1940年代から50年にかけて静岡県内で起きた上記の殺人事件は、いずれも二審まで有罪だったが(幸浦事件と二俣事件は死刑、小島事件は無期懲役)、東京高裁での差し戻し審理を経て、最終的に最高裁で被告人の無実が判明してことごとく無罪となる。さらに取調室での拷問などが露呈し、県警は世間に批判されていた。ただ、この記事には有名な冤罪「島田事件」(1954年発生の幼女殺害事件)がない。一審、二審で有罪となり1961年に死刑が確定した赤堀政夫さんが再審で雪冤し、釈放されたのは1989年だからだ。

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