刑事に囲まれカツ丼を平らげたひで子さん 「そのうち真相がわかると心配していなかった」【袴田事件と世界一の姉】
1966年、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で「こがね味噌」の専務一家4人が惨殺された上に、自宅が放火された「袴田事件」が発生した。事件後、捜査本部に50日間「泳がされた」のち、殺人容疑で逮捕された袴田巖さん(86)。本人は逮捕されるとは想像もしていなかったため、普段と変わらぬ振る舞いの弟の姿に、姉のひで子さんもさして心配しなかったそうだ。だが同年8月18日早朝、2人の刑事が巖さんの住む従業員寮を訪れる。この日を最後に2014年3月27日までの47年7カ月余、巖さんが「塀の外」に出ることはなかった。連載『袴田事件と世界一の姉』の14回目(粟野仁雄/ジャーナリスト)。
強盗か怨恨か
事件から11日後、7月11日付の静岡新聞朝刊に記者座談会が掲載されたが、未解決の大事件に担当記者の意見が大きく割れた。以下に引用する。
《強盗説とえん恨説
――この事件はまれに見る凶悪な犯罪だと思う。大まかにいって犯行の目的はどこにあったのだろうか。
B 警察は強盗説を捨てきれないようだが、私は恨みの線が濃いと思う。あの残虐きわまる犯行手口を見れば長い間潜在していた恨みが爆発したものといってよい。
D えん恨説には同感だ。四人の刺された傷口が、これまでにわかったものだけで四十九カ所もあり、憎しみのあとを歴然と物語っている感じだ。
A 私は逆に強盗説を有力にみている。裏木戸の外に集金袋にはいった現金が落ちていたということは少なくとも犯行の間に現金が犯人の手で移動したとみるべきだろう。
――ではいまいう戸外の現金をどう判断するか。
B 微妙なところだ。これがわかれば事件もたちどころに解決するかもしれないが、私はやや飛躍して“犯人の偽装”だとみる。金を目的の犯人なら捨てて逃げるはずがない。
C そうは思わない。犯人が逃げるため屋根に出て地面に降りようとした時あわてていたため落としたものか、手に持っていた袋をいったん下に投げたのだと思う。拾って逃げるチャンスを失ったためそのままにしたのではないか。
A 現場付近では列車が四分間隔で通るので列車の灯火を避けているうちに火がまわって拾いあげるいとまもなく逃げ出したとも考えられる。
D あの金はいろいろに推理できる。しかしいずれにしてもこの金だけは犯行と直接結びつくただ一つの資料だ。現場検証や家宅捜索でみつかったもののうち他の資料については犯行との結びつきが確定していない。
A だから捜査陣もこの金のことには触れたがらない。位置や金額のことはいっさいノーコメントだ。しかし橋本さん方にあった金が家の外に落ちていたことだけは事実である。》
結局、警察は怨恨説をさっさと捨てて「強盗殺人」に仕立てる。奪われた金は8万円ほどで、今なら40万円くらいか。しかし橋本邸からは、従業員用の給料十数万円が袋に入ったまま見つかり、通帳類も印鑑もそのまま。とても強盗目的とは思えなかった。後の供述調書での巖さんの「犯行動機」はころころ変遷し、最終的に「子供と一緒に住むアパートの資金が欲しかった」となる。その程度の金なら橋本藤雄専務が貸してくれただろう。橋本専務は働き者の巖さんを可愛がり、高級な背広を与えてくれたりした。恨みなどあるはずもない。
記者たちに愛想を振りまき連行・逮捕
「袴田、起きろ」
8月18日午前6時ごろ。同僚の出勤を見計らって巖さんの従業員宿舎に刑事2人(住吉親と森田政司)が現れた。寝ぼけ眼の巖さんは「わかった」とズボンとワイシャツを着て「顔だけ洗わせてくれ」と下へ降りて顔を洗う。2人の刑事が挟むようにして車に誘導すると、潜んでいた報道記者やカメラマンがどっと寄ってきた。巖さんは愛想よく手を振った。車が清水署に向かうと報道陣の車も追う。巖さんは追ってきた車にまで挨拶する。任意同行だったが清水署に到着すると、容疑否認のまま逮捕されてしまう。
当連載の前回で紹介した通り、証拠は巖さんの寝具入れから見つかった小さなシミが付いたパジャマだった。返り血の跡かと疑った警察は、これを「血染めのシャツ」とまで記者に書かせたが、警察庁の科学捜査研究所でも鑑定不能の「シミ」となったものだ。県警の法医理化学研究室はそのシミから、A、B、AB型と3種類の血液が付着していたと鑑定した。巖さんの血液はB型。A型は殺された橋本専務、AB型は長男・雅一朗君だ。パジャマから検出された微量の油は、微量でも分析できるガスクロマトグラフという当時の最新装置で分析し、パジャマの油と放火に使われた混合油が「ほぼ同じ性質」とした。巖さん逮捕は、これらの鑑定結果が持ち込まれた翌日だった。
殺人事件で最も重要な物証は「凶器」だ。捜査本部は、凶器は殺された次女・扶示子さんの遺体近くで警察が事件2日後に発見したクリ小刀とする。工作用の刃物で刃先が少し折れており、木製の柄は完全に消失し金属部分だけが残っていた。さらに、犯行時に着ていたとされた雨合羽のポケットから鞘が見つかったとした。中庭に落ちていた雨合羽は巖さんの同僚の所有で「内部犯行説」の根拠となる。警察が「袴田巖さんの所有物」としたクリ小刀の不自然さは後述する。
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