なぜ幼い少女が「母」なのか?――人気のスマホゲーム「FGO」を神話学で読み解く

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 人気の映画やゲームの魅力のひとつに、多彩なストーリーがある。私たちが楽しむそのストーリーには、神話学を通してみると、さまざまな物語構造の「型」があるという。人気のスマホゲームの一つ「FGO」を、気鋭の神話学者、沖田瑞穂さんに神話学で読み解いてもらった。

巨神兵の“母”となる「ナウシカ」

「少女母神」という存在をご存じだろうか。

 文字通り、少女にして母、という表現だ。矛盾しているが、実は日本のサブカルチャーにおいてはよく用いられる表象である。神話学者としてよく聞かれるテーマなので、これを少し掘り下げてお伝えしておこう。

 知られているところでいえば、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』(映画の原作となっている漫画は、ワイド版全7巻、徳間書店、1983年~1994年)のナウシカである。彼女は「戦う少女」であるが、後半、巨神兵の「母」となる。

 このような「少女母神」の表象が神話とどう接続するか、例を一つ紹介しよう。スマホゲームのFGO(『Fate/ Grand Order』, TYPE-MOON)に出てくるキャラクター、「カーマ」である。

 2019年3月に新キャラクターとして登場したカーマの姿は愛くるしい少女、あるいは幼女といった方がいいかもしれない。しかし、ゲーム内で一定の条件を満たすと成人女性に成長した姿に変化する。このキャラクターの元となっているのはインド神話の愛の神、それも男の神だ。

 そもそもカーマとは、「愛欲」「意欲」という意味のサンスクリット語である。これがそのまま神格化されたのがカーマだ。サトウキビの弓と花の矢を持ち、人の心を射て恋心をかきたてるとされる。海獣マカラを旗印とし、オウムに乗っている。妻はラティ、その名は「快楽」を意味する。カーマはまた、春の神ヴァサンタをお供にしている。

 カーマは紀元前1200年頃成立したインド最古の宗教文献である『リグ・ヴェーダ』にすでに現れ、世界創造の際に唯一物から最初に現われた、原初的な存在とされる。『リグ・ヴェーダ』のおよそ200年後、紀元前1000年頃に成立した、まじないの言葉を集めた聖典『アタルヴァ・ヴェーダ』でも、カーマは「その力によって敵対者を駆逐せよ」と歌われ、勇ましい神とされる。

 このようにカーマ=「愛欲」の力は、動物や人間にとって新たな生命の誕生のために欠かすことができない原初の超越者と考えられていた。世界のはじまりの原動力として必要だと考えられたのだろう。

 バラモン教よりも新しいヒンドゥー教では、カーマはその原初の超越性よりは、もっぱら愛欲、エロスの神としての側面を表わすようになった。たとえばカーリダーサの叙事詩『クマーラ・サンバヴァ』(「クマーラの誕生」、5世紀頃)では、カーマは妻と友のヴァサンタを従えて、ヒンドゥー教の神シヴァに山の神の娘パールヴァティーへの恋心を起こさせるため愛の矢を引き絞る。ところがシヴァに見つかって一瞬にして灰にされてしまった。ラティは夫のあとを追って自殺したが、シヴァとパールヴァティーが結ばれた後、カーマとラティは生まれ変わって再び出会うことになる。

神話に由来する言葉

 FGOにおける「カーマ」の特徴も、このインド神話の記述を鍵とすると、読み解ける部分がある

 FGOのキャラクターは、ゲーム内の戦闘時に用いる技能である「スキル」と、必殺技である「宝具」を所持している。まずこのスキルや必殺技に、神話に由来する言葉が用いられている。

「カーマ」の場合、「身体無き者」というスキルがある。サンスクリット語では「アナンガ」といい、カーマの別名である。神話のカーマはシヴァによって焼かれて身体を失い、文字通り「身体無き者」=「アナンガ」となっており、この記述を参考にしてスキルが作られたのではないだろうか。

 FGOの「カーマ」はまた、スキルとして「マーラ・パーピーヤス」も所持している。マーラとは、カーマとほぼ同じ「愛欲」の意味で使われるサンスクリット語だ。「パーピーヤス」は「悪い」を意味する「パーパ」という形容詞に「イーヤス」を添えたもので、「より悪い」という意味の比較級である。

 面白いことに、このスキルの前半の単語「マーラ」は、辞書では「愛欲」の意味よりも先に「殺害」という意味が出てくる。というのも、そもそもこの「マーラ」のもとになった単語が動詞の「ムリ」で、「死ぬ」という意味なのだ。死と愛欲。タナトスとエロス。それが、「マーラ」という一つの単語の中に共存している。死と愛の「近さ」は神話的な思考のひとつである。

あらゆる生命を「呑みこむ」少女母神

 FGOの「カーマ」の最初の姿は、前述の通り幼女であるが、同時に「少女母神」としても表現されている。神話において母神は、あらゆる生命を「呑みこむ」役割を担っている。

 すなわち、母神とはその根幹として「生み出す」存在であるが、一方で、それを呑みこみ死を与えねばならない役割も担う。生んだままでは世界に生命があふれて秩序が壊れてしまうからだ。生と死という相反するものを司るのが母神なのである。

 そのことがよく分かるのが、2019年3月~4月に期間限定で開催された「大奥イベント」である。正式名称は「徳川廻天迷宮 大奥」。ゲームのメインストーリーから独立して楽しむサブストーリーだ。

 その物語において、カーマは自分自身を巨大化させて、自らの体内に大奥を形作り、そこにやってきたサーヴァント(キャラクター)を次々と取り込み、呑みこんでいく、という設定になっているのだ。

「呑みこむ少女母神」そのものがここに描き出されているわけだ。

「呑みこむ」、すなわち生命を回収する働きは、神話の女神においてしばしば表現されるものだ。日本ではイザナミがいる。原初のとき、日本の国土や神々を産んだが、火の神を産んだために火傷を負って死に、黄泉の国で醜い死の女神となり、人間に死の運命を決定づけた。同様に、ギリシアの大地の女神ガイアも、生命を回収する原初の女神だ。

「カーマ」のように、日本のサブカルチャーでは、神話の「呑みこむ」女神がしばしば「少女母神」という形態を取って表現される。ここに一つの面白さがあるといえるだろう。

ゲームや映画、漫画に息づく「神話のエッセンス」

 今回は「少女母神」の表象が神話とどう接続するかの一例をあげてみた。拙著『すごい神話』でも詳しく書いたように、現代のゲームや映画、漫画や小説などのストーリーの中に、神話の物語構造が組み込まれている事例はたくさんある。そのような視点から現代の物語を眺めてみると、より深く楽しめるように思う。神話の世界をひもといて、ストーリをさらに深く味わっていただきたい。

沖田瑞穂(おきたみずほ)
1977年、兵庫県生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程修了。博士(日本語日本文学)。神話学研究所を主宰。専門はインド神話、比較神話。おもな著書に『怖い女』(原書房)、『マハーバーラタ入門』(勉誠出版)、『世界の神話』(岩波ジュニア新書)、『インド神話』(岩波少年文庫)、『マハーバーラタ、聖性と戦闘と豊穣』(みずき書林)、などがある。好きな神はインドの女神ドゥルガー。

デイリー新潮編集部

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