45歳男性は「同じ女性と3回結婚」 自らの浮気で訪れた3度目の離婚危機の結末
若い男に走った妻
だが2年後、妻から離婚したいと言われた。
「全部、話してほしい。高校時代からつきあっているのに、きみのことがわからない。今、好きな人がいるんだろ、だから別れたいんだろと言ったら、妻はこくりと頷きました。いつもの強気の妻とは違う、妙に純粋な顔でした。本気なんだなと思った。『私が出ていくから、あなたは娘とふたりでここに住んで。養育費もきちんと振り込むから』と。当時、僕たちは37歳。妻が好きになった男は一回り下でした。でも11歳の娘に本当のことは言えない。だから仕事で遠いところに行くから、しばらくの間、一緒に住めないということにしようと話し合いました。娘が疑うようになったら、離婚したことは話そうと。とにかくきみの動向は知らせてほしい、それが娘のためだからと説得すると、志津子も涙を浮かべて了承してくれました」
そして妻は出て行った。数日後、若い男と暮らし始めたと連絡があった。直情径行型の志津子さんと一緒に暮らしていける男はいないのではないかと、その時点で裕弥さんは思っていたという。自分に自信があったわけではないと彼は謙虚に言った。
「そういう志津子に魅力を感じる男性はいるかもしれないけど、実際、彼女と暮らしていくには男がほぼ家事をやらなければならないし、彼女のスケジュールを詳細に聞いてはいけない。外に出たら連絡もしてこない。とにかく干渉してはいけないけど、ときにはかまってやらないと拗ねる。“昭和の男”ですから(笑)。それを満たすのは大変ですよ」
志津子さんは月1度か2度は、娘の好物をもってやってきた。裕弥さんの言い方を借りると、「恋に狂ってはいても娘のことは大事に思っていた」ようだ。娘は「ママが単身赴任をしている」と信じ込んでいた。
娘の小学校の卒業式や中学校の入学式にも、妻はきちんとやってきた。そして入学式の帰りに、ぽつりと「また家族3人で暮らそうか」と言い出した。
「暮らそうかじゃないだろと、さすがに僕も怒りました。身勝手なことばかりしていて、受け入れてもらえると思ってるのか、と。大声は出さなかったけど、言い方がキツかったんでしょう、志津子は少し怯えたように僕を見ました。しばらくたって『そうだよね』と。どうやら若い男と別れたらしいと気づきましたが、だからといってどうぞ帰ってきてくださいとは言いがたい」
1ヶ月後、志津子さんはすぐ近所にワンルームマンションを借りたと連絡してきた。これからはちょいちょい帰るわ、と。裕弥さんは苦笑せざるを得なかったという。
「身勝手極まれりという感じなんですが、そこまでいくと怒る気にもなれなかった。契約解除して戻っておいでと言うしかありませんでした」
志津子さんはすぐに戻ってきて、悪びれもせず娘と抱き合っていた。
「志津子は身勝手なヤツだけど、意味なく不機嫌になることだけはないんです。そこが僕にとってはありがたい。3度目の婚姻届提出はさすがに恥ずかしかったですね。たまたま役所で地元の友人に会って、『え、また結婚するの?』と大声で言われたし(笑)。高校時代の仲間内ではバカップル扱いですよ」
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