「三遊亭圓生」襲名に名乗りを上げた円楽の本音は? 過去には“永久欠番”化も検討

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 落語界で大名跡が息を吹き返している。昨年3月に62年も空席が続いた「春風亭柳枝(りゅうし)」が襲名され、同じく9月には半世紀ぶりに「桂文吾」が復活。そしていま、関係者の耳目を集めているのが、“昭和の名人”と評された六代目を最後に途絶えている「三遊亭圓生」だ。

「六代目圓生は戦後の落語界をけん引し、高度成長期の落語ブームをけん引した大立者の一人。その実力は折り紙付きで、昭和48年には香淳皇后の古希祝いに招かれて両陛下の前で人情噺を披露したほど。一方で“真打ちを粗製乱造している”と怒るあまり、弟子たちを引き連れて落語協会から脱退し、物議を醸したこともありました」

 とはベテラン演芸記者。

「人気も実力も当代随一。落語界の巨星でした。それだけに、数多い弟子たちも、おいそれとその襲名を言い出せずにきたわけです」

 が、最近この“火中の栗”を拾おうとする噺家が。

 事情を知る関係者が言う。

「圓生の孫弟子に当たる六代目三遊亭円楽(72)です。“もったいない”という思いから、かねて名跡の行く末を案じてきました」

過去には襲名を巡って争いも

 実際、円楽は3年前に『流されて円楽に 流れつくか圓生に』という思わせぶりな題名の自著を上梓。そこでは〈俺の最期にそれこそ、「もうダメだ」ってときに、圓生を継いじゃおうかな……〉と吐露している。

 名跡「圓生」の襲名は、長らく紆余曲折を経てきた。

「平成20年、圓生の弟子だった五代目三遊亭円楽(故人)が、一門を前に“圓生は鳳楽に継がせる”と、自身の一番弟子である三遊亭鳳楽(75)を跡目にすると明言した。翌年に円楽は亡くなり、ほどなく鳳楽が『七代目圓生』の襲名準備に入ったのですが、それに円楽の弟弟子たちが横槍を入れた。三遊亭円丈(故人)が“直弟子がいるのに孫弟子が継ぐのはおかしい”と異を唱えれば、三遊亭圓窓(81)も“遺族から(襲名の)許可を受けている”と、鳳楽の動きに待ったをかけたんです」

 三つ巴の争いは徐々にヒートアップ。円丈の発案で「圓生争奪杯落語会」が開かれるなど混乱は続いた。

「ほどなく三人が襲名辞退を表明し、騒動は収束しました。めでたいはずの襲名にケチがついたことに加え、それぞれが弟子同士の争いに嫌気がさしたからです」

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