ニクラウス、46歳でのマスターズ優勝の舞台裏 新聞には「さっさと現役をやめろ」とも(小林信也)
タイガー・ウッズはマスターズを5回も制している。だが、歴代1位ではない。タイガーも届かない6度の優勝を誇るレジェンド、それが帝王と呼ばれるジャック・ニクラウスだ。
帝王は、『ジャック・ニクラウス自伝』で面白い表現をしている。
【写真2枚】昭和61年9月、サントリーオープンに出場した際のジャック・ニクラウス
〈あるゴルファーが競技で本当に有力になる時期について見分ける、間違いのない方法が一つある。その人物が部屋に入っていったとき、他の選手が全員彼を見て「あの男だ。あれこそおれが倒す奴だ」と自分たちに向かって言うことだ。〉
そして1980年が、ニクラウスが“打倒の対象”だった最後の年だ、と書いている。その後も優勝は重ねたが、打倒すべき対象は自分からトム・ワトソンに変わったと認めている。
そのニクラウスが、「追われる立場」から滑り落ちて6年後の86年春、誰も予期しない奇跡を起こした。
この年、マスターズまでの7大会で予選落ち3回、最高で39位だった。獲得賞金は4404ドル、賞金ランク160位。大会前、優勝候補の中にニクラウスの名はなかった。しかし、ニクラウスは最善の努力と挑戦を怠っていなかった。
ニクラウスは、かつて師と仰いだジャック・グラウトにスウィングの診断を依頼した。グラウトはマイアミの大会を見て、「コックを使い過ぎる」と指摘した。助言を聞いてニクラウスが自問自答した経緯が、自伝に詳しく記されている。
〈この診断について考えれば考えるほど、真実はさらにはっきりしてきた。絶好調時には、手と手首はクラブ・ヘッドをボールまで正しく運ぶのに重大な役割を演じていたが、それは反射的になされ、決して意識的な命令を受けていたわけではない。〉
ニクラウスは少年時代、グラウトから「天まで届かせろ!」と繰り返し教えられて育った。バック・スウィングでもスウィングの後も、クラブ・ヘッドを天まで届かせろ。それがニクラウスのスウィングの核心を担っていた。
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