戦後、五輪を奪われた水泳「古橋廣之進」 ジャップと呼ばれた天才が世界を認めさせた道筋(小林信也)
古橋廣之進は、敗戦で打ちひしがれる日本社会に現れた希望の星だった。
終戦の2年後、1947年の水泳日本選手権で古橋は400メートル自由形に優勝。その記録4分38秒4が世界記録を上回っていたことで一躍注目を浴びた。
翌年のロンドン五輪に出場すれば金メダルを狙える! だが日本は五輪への道を閉ざされていた。40年に予定していた東京五輪を返上したため、というのが表向きの理由だが、ドイツと共に、第2次世界大戦を引き起こした責任を問われ閉め出されたのは明らかだ。同盟国のイタリアは戦時中に政権交代したため、出場が認められた。
いまウクライナ侵攻でロシアのスポーツ選手が国際舞台から排除される動きが広がっている。近年なかった現象だが、歴史をたどれば他でもない日本がその当事者だった。
最後まで出場の交渉を重ねたのは、日本水泳連盟会長でNHK大河ドラマ「いだてん」後半の主人公になった田畑政治や体協幹部だったが、世界の風は冷たく願いはかなわなかった。ロンドンから届いた電報には、〈プリンス・オブ・ウエールズを忘れない〉とあった。それは太平洋戦争初期に日本軍がマレー沖で撃沈したイギリス海軍の戦艦の名だ。恨み骨髄、容易には日本を許さないイギリス人の思いが溢れ出ていた。
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