80代認知症の母を介護する100歳の父の言葉 「お母さんが一番不安」「お互いさまよ」
異変を感じた電話
そもそも、最初に母の異変に気づいたのは、忘れもしない12年4月。呉市の実家に電話し、たわいないおしゃべりを楽しんでいた時のことでした。
「こんな面白いことがあってね」
と母が勢いよく話し出したのは、前の日に聞いた話と全く同じものだったのです。それをあたかも初めてのように語る母。私は何かの冗談かと思って、
「お母さん、その話、もう昨日聞いたわ」
そうツッコミを入れました。すると受話器の向こうでほんの一瞬、息をのむような気配があったのです。その一瞬の沈黙は私を恐怖に陥れるのに十分でした。
お母さんはおかしゅうなったんかな……。母も私に疑われていることを敏感に察したのでしょう。聞かれもしないのに言い訳することが増えてきました。
「ああ、この間はお母さんもう眠かったけん、あんたの話をよう聞いとらんかったかもしれんわ。悪かったねえ」
そう、今思えば母はずいぶん前から自分の異変に気づいていて、それを必死で私に隠そうとしていたのではないでしょうか。そこには「主婦の鑑(かがみ)」であらねば、というプライドもあったでしょうし、娘に心配をかけたくないという親心も大きかったはずです。
母は一体どうなっているんだろう。私は恐る恐る実家に帰ってみることにしたんです。
「お母さんが一番不安なんじゃけんの」
〈信友さんが母の異変に初めて気づいてから2カ月後、実家に戻ると、父母の関係が逆転していたという。もともと夫を立てるタイプで父に逆らったことのない母が、理不尽なことで父を叱っていたのだ。〉
母も自分が壊れていく恐怖をひしひしと感じていて、唯一甘えられる父を攻撃することで恐怖を少しでも振り払いたいんだ。そう直感しました。
ある時、父がポツリとこう言ったのです。
「直子もお母さんを傷つけるようなことは言うなよ。お母さんが一番不安なんじゃけんの」
ああ、父は全部わかっているんだ。その上で母をいたわり、支えようとしているんだ。父の度量の広さに感動しました。
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