80代認知症の母を介護する100歳の父の言葉 「お母さんが一番不安」「お互いさまよ」
「死にたい」と泣きわめいても、寝て起きると忘れている
母にそう言われると、私も一緒に泣きたくなります。実際、認知症となってから最初の何年かは、私も母への思い入れが強すぎて泣いてばかり。今振り返っても、介護をする中で一番うつっぽい状態になっていたかもしれません。
人間は学習する動物だということを、認知症を患った母と過ごす日々の中で身をもって知りました。母の感情に引きずられて一緒に泣いても、自分の気が滅入るだけで何も解決しないことに気づいたのです。
それに母は「死にたい」と泣きわめくと疲れて寝てしまうのですが、次に目が覚めた時にはすっかり忘れている。そんな時、母の絶望が感染してまだ泣いている私に向かって「泣きなさんなや」と一生懸命慰めてくれるのです。
いやいやお母さん、あなたが泣かせたんでしょうとツッコむのですが、母は全然おぼえていません。
カメラを回していると面白がれる
こうなるともう喜劇ですよね。それで気づいたんです。これは振り回されるだけ損だな、と。こういう母の認知症からくるおとぼけエピソードは、挙げればキリがありません。
そしてそれは、母と一緒になって嘆き始めるといくらでも悲劇に思えるけど、ちょっと引いた目で見るとけっこう笑えて、喜劇に思えてきます。
「人生はクローズアップで見ると悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」
喜劇王チャップリンの名言です。本当にその通りだなあ、と今の私は痛感しています。
起きたことをどう感じるかは、要は自分の視点の置き方、捉え方次第なんです。それなら捉え方を自分で工夫して、できるだけ笑って楽しく過ごすほうがいいに決まっています。
母の行動だけを見て「何でこんなになってしまったんだろう」と思うと悲しくなりますが、少し引いた視点で見ると「ぼけたおばあさんと耳の遠いおじいさんのかみ合わないやりとり」は、とぼけた味があってほほ笑ましく感じられます。
なにより「ヒキ」で見るには、カメラを回していたことがとても助けになったと思います。自然と視点が客観的になるからです。娘には心が折れるだけの母の振る舞いも、カメラを回していれば「これって衝撃映像かも!」と面白がることができるのです。
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