80代認知症の母を介護する100歳の父の言葉 「お母さんが一番不安」「お互いさまよ」
「認知症がくれた贈り物」
人生100年時代といわれる今、認知症は誰がなってもおかしくない病です。けれど、認知症になったからといって、この世の終わりというわけではありません。母が認知症になったからこそ気づけた大切なもの、「認知症がくれた贈り物」について、皆さんにお伝えできることを映像と文章で記録してきました。
私も母の認知症を最初から「贈り物」だなんて思っていたわけではありません。大好きな母が壊れてゆくのを見るのは怖く、悲しく、目を背けたくもなりました。
でも気づいたのです。いくら目を背けたところで現実は変わらない。ならば潔く受け止めて、その上で少しでも前向きに、楽しく生きる方法を工夫した方が得じゃないかと。これは長く暗いトンネルを抜けてつかみ取った、生きるコツのようなものです。
本人が一番苦しんで…
ここ数年でうちは、社会問題といわれるキーワードがいくつも重なる家になってきました。まず母の「認知症」。超高齢な父による「老老介護」。母に何かあるたびに私が東京と呉を往復する「遠距離介護」。そして、私が東京での仕事を辞めて実家に帰るべきか悩んでいるので「介護離職」予備軍……。それに気づいたとき、私は撮りためた映像を公表しようと思いました。
うちのようにごく普通に暮らしてきた家族の姿から、こういった社会問題を感じることで、認知症をより身近に自分事として覚悟したり、準備してもらえるのではないかと思ったからです。
認知症になった人は、ぼけてしまったから病気の自覚もないのでは?と思われる方もいるかもしれませんが、実は本人が一番苦しんでいます。母をずっと側で見てきた私が言うのだから間違いありません。
自分がおかしくなってきたことは、本人が一番分かっているのです。昔、できていたことがなぜできないのか、自分はこれからどうなってしまうのか、家族に迷惑をかけてしまうのではないか……。認知症の人の心の中は、不安や絶望でいっぱいなのです。
母も時には「あんたらの迷惑になるけん、私はもう死にたい」と泣くこともあります。あんなに明るくて、何でも笑い飛ばす人だったのに……。
次ページ:「死にたい」と泣きわめいても、寝て起きると忘れている
[2/6ページ]