サッカー・三笘薫、卒論のテーマは「自分のドリブル」 俳優・松重豊と“奇妙な縁”も
予選敗退もささやかれたサッカー日本代表を救った選手は、あの名バイプレーヤーの“隣人”だった。一夜にして英雄となった三笘(みとま)薫選手(24)は「孤独のグルメ」で人気の俳優、松重豊(59)と奇妙な縁があったのだ。
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【写真3枚】少年時代の三笘が松重宅でゲームをして過ごしたことも
このまま引き分けならW杯出場は次戦に持ち越し――。あきらめにも似た空気を三笘が打ち砕いた。後半終了間際、右サイドからのクロスを押し込み先制。さらにアディショナルタイムには2点目を挙げ、W杯出場を決めた。予選では初戦で敗北し、苦戦を強いられていたが、二つのゴールはチームを救う殊勲となった。
5歳でサッカーを始めた三笘は神奈川県川崎市で育った。小学校1~2年時に指導したさぎぬまSC代表の澤田秀治氏が言う。
「当時から、同学年の間でサッカーの技術は群を抜いており、“プロの選手になりたい”と話していました」
卒論のテーマは「サッカーの1対1」
小学校3年で川崎フロンターレの下部組織に入ると頭角を現し、ユース時代にはトップチームに誘われた。しかし、選択したのは筑波大学への進学だった。
「うちに来たのは“プロでやれる自信がなかった”からです」
と語るのは、筑波大学蹴球部監督で同大助教の小井土正亮氏である。
「川崎のユース時代、1学年上に自分よりも優れた選手がいたんです。しかし、その選手がプロ入り後、ほとんど試合に出られないのを見て進学を決めたのだそうです」
卒業論文のテーマは「サッカーの1対1場面における攻撃側の情報処理に関する研究」だった。
「なぜ自分のドリブルは相手を抜けるのか、を研究しました。小型のカメラを頭につけ、グラウンドで自身の視線を一生懸命に検証していました。推薦入学者には論文に不慣れな人もいる中で、彼は文章を書けるし、テーマ設定にもオリジナリティがありました」(同)
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