「いかなる形の圧力をかけても無駄だ」「攻撃は最大の防御」――プーチン露大統領が描く、次のフェーズ
世界中の移民、難民の動きを追い続けるフリージャーナリストの村山祐介氏は、現在、ウクライナに入り、連日のようにその様子をYouTubeで伝えている。4月5日にはロシア軍撤退直後のキーウ近郊、ブチャの街へも入った。
▼ウクライナの現場からジャーナリスト村山祐介が報告【YouTube「クロスボーダーリポート 村山祐介」】
https://www.youtube.com/user/MurayamaYusuke/featured
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焼け崩れた街並み、そこかしこに転がる遺体、人の通る場所には見つかっただけでも千個超の地雷が埋められていたという。村山氏は、そんな光景を外国記者ではない、日本人の視点で伝えてくれるが、ここに入る直前までは、ウクライナ西部の国境の街、リビウにいた。
そこは兵士の一群がしばしば通り過ぎるものの、世界遺産にも登録されるバロック様式の美しい街並みにはカフェやレストランも開き、人びとの服装も足取りも、普段通りと変わらないように見える。
だが、細部に目を向ければ、博物館などの文化施設は支援物資の集散所となり、駅には南東部やキーウから逃れてきた人々の列が延々と続いている。市街の寺院では戦闘で亡くなった兵士たちの葬儀が荘厳な聖歌が響き渡る中で執り行われ――と、その直後、リビウの石油施設にミサイルが着弾。周囲は炎と黒煙に包まれた。
キーウからはおよそ500キロ。やはりここは戦下の国なのだ。日常生活と避難民たちであふれる街にも着弾する非情に、ブチャやマリウポリだけが戦場でないことを私たちは知らなければならない。
しかし、ここまで世界環視で状況が伝えられても、いまだロシアは自らの行為を正当化し、プーチン大統領もかたくなにその姿勢を変えようとはしない。その様は自ら振り上げた拳の下ろしどころに迷っているようにも見えるが、一方で、それが下されるときは、世界の悲劇へと発展しかねない。
プーチン分析の第一人者として知られる米ブルッキングス研究所シニアフェローのフィオナ・ヒル氏はその著書『プーチンの世界―「皇帝」になった工作員―』の中で、極めて示唆的な考察を展開する。すなわちロシアは次にどう出るか――。
そこには2014年のクリミア侵攻時、世界中から非難を浴び、制裁によって追い詰められたロシア、プーチンが何を考え、どのような準備していたかについて、示されている。
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軍事演習としてのウクライナ
2013~14年のウクライナ危機では、ロシアの軍事政策のアプローチが全面展開することになった。親露派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領が突然キエフを脱出し、ウクライナの政権が転覆し、ロシアの立場が危うくなると、(〈ワレリー・〉ゲラシモフ〈ロシア軍参謀総長〉の言葉どおり)プーチンは西側諸国の介入を抑止する必要に迫られた。攻撃的な作戦を通じて、ロシアが21世紀の戦争にどれだけ強いかを示さなければいけなかったのだ。
しかし、危機が広がりを見せはじめた13年末、プーチンは問題に直面した――その時点では、ロシアに必要な戦力はまだそろっておらず、いまだ発展途上にあった。14年3月のクリミア併合後のプーチンのあらゆる動きを見ればわかるように、その後の紛争はロシアにとって事実上、21世紀の戦争に向けた一つの巨大な軍事演習となった。彼は実世界のインプットとシミュレーションのインプットを組み合わせ、ロシアの戦力を継続的に成長させたのだ。
ここでいう「インプット」とは、シナリオに沿った図上演習や軍事演習で使われる専門用語である。演習の指揮官は新たな情報(インプット)がふんだんに含まれたシナリオを参加者に示し、正しい意思決定ができるかどうか、彼らの決定が状況の変化に適応できるしっかりしたものかどうかを検証する。
演習の「評価」の部分では、参加者がこうした「新たなインプット」にどう対応できたかに注目する。プーチン、ロシア軍、保安当局、政治・経済の司令チームにとっては、ウクライナ危機のあらゆる出来事や進展がシナリオの新たなインプットになった。実際の作戦であれ正式な軍事演習であれ、部隊や司令官は本番を想定して配置に就いた。そのため演習の指揮官は、実世界とシミュレーションの両方のインプットを別々に見つつも、同じ視点で評価することができた。部隊、組織、リーダー、司令官はどのように行動したか? 特定の新しいインプットにどう対応したのか?
実際、ウクライナ危機について述べるプーチンのスピーチには、彼なりの図上演習という考えが反映されていた。14年5月14日、軍需産業の代表者や軍指導部との会議に出席したプーチンは、半年前に開かれた同じような会議の話し合いの内容を参加者に思い出させた――国防調達計画、つまり新しい兵器システムの生産と軍への引き渡しスケジュールについてだ。ロシア軍需産業は西側諸国から制裁を受けていたため、調達計画は明らかに見直しが必要だった。
「こういう場合によくある表現を使うとすれば、シナリオに新たなインプットが加わったということだ。輸入代替の問題の解決を必要たらしめる新たなインプットがね」とプーチンは言った。
要するに、「よし、新たな事態が発生した。君たちのお手並み拝見といこう」と言いたかったのだろう。プーチンの部下たちも同じ言い回しを用いた。ウクライナ東部の分離派がドネツク地域の独立の是非を問う住民投票を行うことを決めると(プーチンは表向きには住民投票を控えるよう訴えた)、14年5月8日、プーチンの大統領報道官ドミートリー・ペスコフは、この出来事をウクライナ情勢の「新たなインプット」と呼び、「詳しい分析が必要だ」と付け加えた。
さらに、ウクライナ紛争に伴い、ロシア領内ではさまざまな分野で継続的な軍事演習が行われた――宇宙・ミサイル部隊、核部隊、特殊部隊、従来型の軍部隊、心理作戦チーム、政治工作員チーム。こうした演習には、軍や保安当局、政府指導部のあらゆる部門が参加した。そして、クレムリンがこっそりと発表したように、プーチンは、ウクライナの外からこの巨大な図上演習を「実戦モードで」監督したのだった。
プーチンが14年のウクライナを軍事演習や訓練場の一つとして扱わざるをえないのは至極当然のことだった。ゲラシモフの提唱する21世紀の新たな戦争方式には、新しい兵器が必要だった。そうした兵器の大半は非軍事的なものだったが、開発や配備のサイクルは軍事兵器とよく似ていた。まずは研究開発に始まり、限定的な生産、テスト、配備、そしてさらなるテストへと続く開発サイクルが必要になる。
次に、新たな兵器を戦争戦略に取り込み、さまざまな状況に適応させ、さらに洗練させていかなくてはいけない。そして、(08年のグルジア戦争時と同じように)準備万端になる前にウクライナ戦争が始まったため、ロシアはリアルタイムで兵器の開発を進める必要に迫られた。
ロシアが14年のウクライナで取った攻撃的な行動はすべて、何らかの形で新たな戦争の軍事的、政治的、経済的な兵器の開発や配備と結びついていた。ゲラシモフの言葉を借りるなら、プーチンは「ロシア連邦やその同盟国にいかなる形の圧力をかけても無駄だ、と潜在的な攻撃者に知らしめる」ため、シミュレーションだけでなく実世界の軍事作戦を通じて、そうした兵器に磨きをかけていった。
ウクライナ作戦の根底には、「攻撃は最大の防御」という前提があった。「軍事、情報、その他の方策と密接に結びついた政治外交的・対外経済的な政策」によって、西側諸国が軍事行動に出るのを抑制できると考えられていたのである。(以上引用 ウェブ用に適宜表記を変更しました)
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ちなみに、ここに登場する、ワレリー・ゲラシモフは、ロシア軍の有能な参謀総長として14年のクリミア侵攻を指揮したが、今回のウクライナ侵攻ではその姿をしばらく見せていない。一説にはプーチンにその無謀さを指摘したゆえに中枢を外されたともいわれるが、クレバーな指揮官が不在となれば、さらなる暴走も懸念される。
とはいえ、これからわれわれが目にする世界は、どのような世界なのか――。追い詰められることすら、かの男には“織り込み済み”だったとすれば、今起こっていることは、「新たな戦争」の序章なのかもしれない。
村山祐介(むらやまゆうすけ)
ジャーナリスト。1971年、東京都生まれ。立教大学法学部卒。95年、三菱商事株式会社入社。2001年、朝日新聞社入社。09年からワシントン特派員として米政権の外交・安全保障、12年からドバイ支局長として中東情勢を取材し、国内では経済産業省や外務省、首相官邸など政権取材を主に担当した。GLOBE編集部員、東京本社経済部次長(国際経済担当デスク)などを経て20年3月に退社。米国に向かう移民の取材で、18年の第34回ATP賞テレビグランプリのドキュメンタリー部門奨励賞、19年度のボーン・上田記念国際記者賞を受賞した。
21年にノンフィクション『エクソダス アメリカ国境の狂気と祈り』(新潮社)で第43回講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞。20年からフリージャーナリスト。
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