柔道体重別選手権、阿部詩が途中放棄の真相
優勝した時の愛くるしい笑顔、たまに負けた時のあたり憚らない号泣、どちらもが魅力的な柔道の阿部詩(21)=日本体育大学=。東京五輪以来、初めてとなる公式戦に登場したが、そのどちらも見られなかった。コロナ禍以来、初めて一般観客を会場に入れ、東京五輪出場組も登場するとあって期待された全日本柔道体重別選手権が4月2日から福岡国際センターで始まった。久々に登場した東京五輪金メダリストの阿部が途中棄権するやや寂しいスタートとなった。(粟野仁雄/ジャーナリスト)
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52キロ級女子の試合に登場した阿部は、初戦で東海大学の川田歩実(19)=東海大学=と対戦したが、いつものような「ヘーイ」というような声もあまり聞かれず、旺盛な闘争心もいまひとつ感じられなかった。動きも精彩がない。GS(ゴールデン・スコア ポイントが入った時点で勝敗が決まる延長戦)にもつれ込む苦戦で、何とか「技あり」で勝ち上がった。ところが坪根菜々子(22)=自衛隊体育学校=とあたるはずの2回戦では畳に姿を見せず、不戦敗に。
「どうしたんや」とざわめく記者席の記者たちと別室からのリモート会見に臨んだ阿部は、昨年の9月と10月に2度にわたって両肩の手術を受けていたことを初めて公表したのだ。
「本当は間に合わなかったけれど『試合に出ないと世界選手権に選ばれない』と聞いて、出ることにしました。パリ五輪に向けての一歩だし、畳に立つべきだと思った」と語り、本来は今年8月頃の復帰を考えていたのを、ある意味、無理して今大会に参加したことを明かした。
「柔道着を着たのが2月になってからで、2週間前に本格的な稽古を再開しました」と話した阿部は、何とか突破した1回戦の試合中に両肩の状態に「ゆるんでいるような」不安を感じたので大事を取ったという。あまり闘争心が感じられなかったのは昨年、大きな目標を達成してしまって闘争心が萎えたわけではなく、さらに深刻な悪化につながらないよう「こわごわ」の慎重な対戦だったためなのだろう。
東京五輪はだましだまし
阿部はあまり怪我のニュースを聞く選手ではなかったが、「実は高校3年の2月に左肩を負傷し、19年の世界選手権(東京)後に、右肩にも違和感を覚えるようになったんです。左は組むと抜けるような状態。脱臼まではいかないけど、ずっと緩さが続いていて、肩を支える関節唇(しん)(肩の受け皿の骨を覆っている繊維状の組織)が切れてしまっていた」と振り返る。
昨年の8月の東京五輪も「本当は手術しないといけない状況だった」とも打ち明けた。五輪後に修復手術をすることにし、なんとか東京五輪は手術をせずに、だましだましで切り抜けたということのようだ。
試合後に、全柔連は10月の世界選手権(タシケント)の派遣選手の選考委員会を開き、阿部ら、4月17日の全日本女子選手権の結果を待つ78キロ超級以外の7人を選び発表した(7階級のうち2階級は2人選考でき、48キロ級は渡名喜風南(26)と角田夏実(29)を選考)。
結局、52キロ級ではこの日、優勝していた白石響(20)=環太平洋大=は選ばれなかった。女子代表の増地克之監督は「この階級で(優勝に)一番近い」と阿部を選んだ理由を述べた。
記者から阿部選手の「強行出場」の是非を問われると、同監督は「2月の欧州(での大会)、そしてこの選抜が選考大会になってくる。この試合に出ないということになると、自力で代表権を獲得するのは難しい」と話した。今野潤委員長は「(選考には)五輪の金メダリストに大きなアドバンテージがあることも確かで第一シードと言ったところ。怪我で出場を避けたいことは、彼らを追う選手とて同じこと。整合性、公平性から(出場させたことは)仕方なかった」などと説明した。筆者が「もし負けていたら選ばれたんですか?」と尋ねると「対戦相手にもよるがそれはわからない」とのことだった。出場もしないで世界選手権代表に選ばれると批判も出るかもしれないので「無理のない範囲で出場してほしい」だった気もする。
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