戦争を“リアル”にしたスマホとSNS 平和への一助になるのか?(古市憲寿)
1991年1月4日、ジャン・ボードリヤールという思想家が「湾岸戦争は起こらないだろう」という論考を仏紙「リベラシオン」に発表した。冷戦が続いた結果、世界には抑止力の論理が働いている。仮に戦争になっても、セックスでいえば「コンドームつき」、地震でいえば「微震」程度にしかならないというのだ。
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だが1月17日に多国籍軍がイラクへの爆撃を開始、戦争は起こってしまった。ボードリヤールがすごいのはここからだ。予防線を張っていたとはいえ、予言が外れてしまった。論考をなかったことにするのではなく、「湾岸戦争はほんとうに起こっているのか?」「湾岸戦争は起こらなかった」という文章を続けて書き、一冊の本にしてしまった。
外れた予言の弁明にも見えるが、2度の世界大戦に比べれば湾岸戦争の犠牲者が少なかったのは事実である。ボードリヤールの言葉を借りれば「ほんとうの戦争には見えない」。
実際、当時は多くの論者が、湾岸戦争に対する「現実感のなさ」を指摘していた。海外では「任天堂戦争」と呼ばれたこともあった。まるで任天堂のビデオゲームのような戦争だというのだ。
さて、2022年2月24日、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が開始されてしまった。「戦争は起こらなかった」なんていう発言はもちろん、戦争の「現実感のなさ」を指摘する声は聞こえてこない。
この30年で何が変わったのか。映像の解像度と、スマートフォンの普及である。
1991年の人々はアナログ画質で戦争を目撃した。赤外線カメラなどで撮影された、戦闘機が軍事施設を破壊していく映像は、確かに「ゲーム」のように見える。映像の提供者である米軍は、ピンポイントで軍事施設を爆撃し、民間人の犠牲者が出ていないことをアピールしたかっただろうから、そこに目を背けたくなるようなシーンは少なかった。
一方で、2022年の人々が目撃しているのは、たとえばウクライナの市民がスマートフォンで撮影した、高解像度の動画である。少しSNSを検索すれば、ロシア軍による空爆や両軍の野戦の様子、がれきになった街並みなど、大量の動画を見つけることができる。
それをひどく生々しく感じるのは、普段、我々が使っているデバイスで撮影されたことも大きい。家族やペットを撮っている時と同じような画質で、悲惨な戦争の風景が伝えられる。それはとても「ゲーム」とは思えず、確かにこの地球上で起こっている出来事だと実感できる。
世界中がウクライナに同情を寄せたのは、スマホやSNSの影響も大きいだろう。楽観的に考えるなら、戦争の悲惨さを伝えるSNSは、平和への一助になりそうだ。
一方で、抖音(中国版TikTok)を眺めていると、ロシアの正当性、アメリカの策略を訴える動画が次々と流れてくる。置かれた情報環境によって戦争の見え方がまるで違う。その意味で、SNS時代の戦争は起こらないどころか、起こりすぎている。