【袴田事件と世界一の姉】捜査記録に残る巖さんの人物評とフェイクニュースの罪

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取材にも普通に応じた巖さん

 最近は、重大事件で疑われた人物がテレビカメラなどの前で無実であることを滔々と演説した後、逮捕される姿を見るが、巖さんはそうした芝居や芸当ができる性格ではない。事件後、警察の尾行などの異変には気づき、実名を出されないまでも自身に疑いがかかっていることは新聞報道でも知っていたはずだが、全く身に覚えがないため警戒心もない。

 そのせいだろう、8月4日夜には毎日新聞の記者の2時間にわたる単独取材に応じている。

 以下に再現する。

【静岡支局白井・安田両記者】われわれ(白井、安田記者)は“袴田の逮捕近し”とみられた四日夜、彼と毎日新聞清水通信部で二時間余にわたり単独会見した。“つかまれば死刑”ということを覚悟しているのか、袴田はかえって落ち着きはらった態度。しかし、ときおり、目の下を神経質に動かし鋭い横目をつかうのが気にかかった。以下は記者との一問一答。

――君は犯人と疑われているようだが……。

答 えー、そりゃ、自分のアリバイを証明できない点では不利な立場に立たされたと思っていますよ。でも私が犯人だったらもっとアリバイをつくってからやりますよ。(声高に笑う)それに小刀を使いませんよ。バーンとアゴをなぐれば(元ボクサーらしく身ぶり手ぶりですごみをきかせる)ちょっと起き上がれませんからね。

――警察は事件後、間もなく君を夜中までぶっ通しで九時間以上にわたって調べたね。内容は……。

答 いきなり部屋にはいったとたん「お前はどうしてここへきたかわかるだろうな」ときた。「お前がやらなくてだれがやるんだ」ともいわれた。(やや興奮気味になる)パジャマにちょっと血がついていたくらいで色めきたって犯人扱いするんだからたまらないですよ。「胸の血はどうしてついたんだ」と聞くから「そんなことわからない。消火作業に夢中だったのでどこでついたか知らないんだ」といってやった。

――事件当日のアリバイは。

答 午後五時半ごろだったと思う。専務の家へ佐藤省吾君(同僚の従業員)と二人でメシを食いに行った。それから部屋へ戻ってテレビを見てから寝た。

――パジャマの血はどうしてついたかわからないの。

答 消火作業で夢中だった。土蔵の物干台にあがって窓をこわしていたとき左手に痛みを感じ、けがをしたことに気がついた。たぶん屋根の上でころんだのでそのときのけがだと思う。

――こんどの事件を君はどう推理するか。

答 女をめぐっての専務に対する恨みでしょうね。それに一人の犯行ではないよ。三人以上だと思いますね。

――侵入口は……。

答 そりゃ、シャッターを上げて正面から堂々とはいったと思いますよ。

――どこから逃げたか。

答 やはり裏口を飛び越えたでしょうね。

――カッパや油について。

答 それですよね。問題は……。(やや考えてから)でも犯人がわざわざカッパを着て行きますかね。油も会社にはいろいろある。モーターボート(橋本専務用のもの)もあるからね。事件が片付いたら私の潔白を証明してもらうために警察などに対して何らかの処置をとりたいと考えている。

――告訴するということか。

答 そうだ。

 これが報じられるのは逮捕直後の8月19日付朝刊だ。前日8月18日の静岡新聞朝刊には、以下のような記者とのやり取りがある。取材日は記されていない。

【本紙記者 袴田と一問一答】

 袴田は、任意同行前に本社記者の質問に対してつぎのように答えている。

【問】清水の殺人放火事件は未解決だが従業員の一人としてこの事件をどう思うか。

【答】容疑者にみられたわたしとしては一刻も早く犯人をつかまえてもらいたい。しかし最初の捜査段階で警察は大きなあやまりを犯しているので犯人逮捕はなかなかむずかしいと思う。

【問】大きなあやまりとはどういうことか。

【答】わたしのアリバイ証明者がいない。事件のあった週の土曜わたしは実家に帰った。またパジャマに血がついていたなどから、わたしにあまりにも捜査の重点をおきすぎ、他の面の捜査がおろそかになったと思うからだ。実家には、こどもを預けてあるから帰るのだし、パジャマの血も消火作業のときケガをしたためついたものだ。返り血だとしたら、血のついたパジャマなど着ているはずがない。焼くなり捨てるなりしているはずだ。

【問】犯人内部説があるがどうか。

【答】なんとも言えないが物とりにはいって殺人を犯したとは考えられない。専務が裏口近くに倒れていたということだが、犯人を追いかけていき殺されたとは思えない。話をしているうち、いきなり刺されたのではないか。

【問】正直にいって、あなたにかなり不利な条件がそろっているが、犯人に心当たりはないか。

【答】実は、従業員ではないが一人いる。名前はいえない。そいつは一応アリバイがあるが、確かなものではないと思う。わたしはいまのところ監視されているのでいろいろ動き回ると税金のムダ使いをすることになり、そいつについて、まだくわしく調べてないが一段落したら調査する。

 警察が、犯行の主たる物証としたのは、パジャマの他、「凶器の」くり小刀、これも「犯行時に着ていた」雨合羽だった。雨合羽といえば、まるめてポケットに入るような薄くて丈夫なレインコートを想像するかもしれないが、当時の雨合羽は厚くて重い。巖さんは橋本邸に雨合羽を着て木を登って中庭に降りて「押し入った」とされたが、雨でもない暑い季節に着るのも不自然な上、邪魔で木を登って橋本邸の裏庭に降りることもしにくい。くり小刀とは、大きな物ではなく鉛筆を削ったりするのに使う。味噌工場では、木や竹で作られる味噌樽(製造用の味噌タンクではなく出荷用のもの)の「ささくれ」を削り落としたりするのに使う。これらについては後述する。

 事件から50日ほど泳がせていた(捜査報告書でも「泳がせていた」と明記している)合同捜査本部が、巖さんに任意出頭を求めたのは、1966年8月18日の早朝だった。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

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