【袴田事件と世界一の姉】捜査記録に残る巖さんの人物評とフェイクニュースの罪
1966(昭和41)年、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で味噌製造会社「こがね味噌」の専務一家4人を殺害した強盗殺人罪で死刑が確定し、囚われの身だった袴田巖さん(86)が静岡地裁の再審開始決定とともに自由の身になったのは、2014年3月のことだった。現在も続く三者協議の中で、検察が「再現実験」ではなく「血痕の赤みを残すための実験」をしていることを、長年、袴田事件を研究し、証拠に関する実験を独自に行った「ミスター味噌漬け実験」が示した。事件後しばらく「泳がされた」巖さんは逮捕が迫っているとも思わなかったのか、当時、臆することなく新聞記者の個別インタビューに応じていた。連載「袴田事件と世界一の姉」の13回目(粟野仁雄/ジャーナリスト)。
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【写真と表】袴田事件がよく分かる年表と検察が「味噌タンクの再現実験」
「袴田巖さんを救援する清水・静岡市民の会」の山崎俊樹事務局長は、袴田事件の支援に42年間携わり、再審のカギを握る犯行時の着衣が発見された味噌タンクでの血痕の変化に詳しく、「ミスター味噌漬け実験」と呼ばれる。3月19日に浜松市で開かれた「袴田事件がわかる会」(袴田さん支援クラブ主催)で講演した。
同会は通常、巖さんの姉・袴田ひで子さんの自宅から近い「復興記念館」で催されるが、今回、ひで子さんは新型コロナの感染に用心してリモート参加した。「巖はまともになったり妄想に戻ったりですが、いい方向へ行っていると思います」と語り、山崎氏の講演の冒頭、「山崎さんのお話をよく聞いてくださいね」と自宅からカメラを通して参加者に朗らかに挨拶した(筆者は都合で参加できず、支援クラブの白井孝明氏に映像を送っていただいた)。
全く色が違う書類写真とデータ写真
山崎氏はまず、一昨年12月の最高裁の差し戻し決定を振り返った。
「5人の裁判官のうち、元駐英大使の林景一氏と東大法学部の宇賀克也教授の2人が反対意見でしたが、再審開始に反対なのではなく、差し戻さずに自分たち(最高裁)で再審開始を決めようということ。証拠類もよく見てくれている」と評価する。この時、他の3人のうち1人でも同調していれば、東京高裁での手続きは不要だった。
山崎氏は「PHが低くて(酸性が強い状態)も血は黒くなる」「人間の血液の塩分は0・9%で、(塩分濃度が)0・1%違っても大変なことになる」など血液の仕組みを説明し、カラー写真をスクリーンに映した。最も重視したのが、現在進行中の三者協議で検察側が高裁に提出した写真である。
「捜査報告書の写真を見た時は、ずいぶん赤いなと思いましたが、データを弁護団からいただいて画像を出したらずっと黒ずんでいる」(同)
確かに対比された写真はまるで色が違う。
「横にある色見本が薄くなっている。(写真を撮影するのが)下手なのか赤くなるように露出調整したのか……」と山崎氏。さらに「検察は味噌製造に使われたのが井戸水だからとして、肥料や動物の糞尿に含まれる硝酸窒素を入れていましたが、これはハムなどを赤く見せるために使われるもの。さらにビニールパックで真空状態にして脱酸素剤まで入れて嫌気性を高めている」と、検察実験が実際に「5点の衣類」が発見された味噌タンクとはかけ離れた条件で実験していることを説明した。
山崎氏の積年の実験では、赤味噌でも白味噌でも黒ずんでゆく過程は変わらなかった。理工系の出身で心強い存在であるが、彼は常々「裁判では科学万能のように言われますが、そこに落とし穴がある」と強調する。
「足利事件では当時、最先端科学だったDNA鑑定が絶対だと信じられて菅家利和さんが逮捕されましたが、それが間違っていたではないですか。私たちは『科学的』という冠が付くものを安易に信じてしまいます。特に犯罪捜査に使われる『科学的』という言葉は、常識では考えられないこと、普通の人の行動ではあり得ないこと……つまり犯人ではないことを真剣に考える機会を奪い、『科学的』な証明がされたとして、私たちの常識的な判断を奪っていく危険が常に伴うことを考えるべきです」と話している。
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