深夜番組「それって!?実際どうなの課」 絶好調を裏付けるスゴイ数字で日テレに流れる怨念説

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

囁かれる怪談

「実は日テレ社内で囁かれている怨念説があるんです。現在、日テレ系列の中京テレビは、もともと東海銀行(現・三菱UFJ銀行)などの名古屋財界によって設立された放送局で、日テレとの資本関係はありませんでした。開局当初は日テレとテレビ朝日(当時はNET)、さらに大株主に日本経済新聞がいたことからテレビ東京(当時は東京12チャンネル)とも組みました。しかし、テレ東系のテレビ愛知が開局したことで系列局が整理され、中京テレビは日テレ系列に。弱小ローカル局のようですが、川島なお美の出世番組である『お笑いマンガ道場』(1976~1994年)を逆ネットしたことで、制作力のあるローカル局としてその名を東京で響かせました」

 もともと実力はあったわけだ。

「中京テレビは代々、東海銀行の出身者が社長に就いてきたのですが、先代社長(現会長)と社長、2代続けて日テレの生え抜きなのです」

 小松伸生会長(67)と丸山公夫社長(67)である。

「小松さんは『池中玄太80キロPart2』(81年)や『ポケベルが鳴らなくて』(93年)などヒットドラマを手がけ、ドラマ局の初代局長を務めた人物です。11年に読売新聞出身の大久保好男氏(71)が日テレ社長に就任すると、小松さんは取締役執行役員に就任。しかし2年後には中京テレビに移籍し、16年に日テレ出身者として初の社長になりました。そして19年、小杉善信氏(68)が日テレの社長になるのと同時に、中京テレビ社長となったのが丸山さんです。丸山さんはメディア戦略や海外ビジネスなどに尽力し、日テレの社長候補No.2に座にありました。日テレは大久保―小杉体制が固まり、昨年、読売から迎えたのが杉山美邦社長(67)でした」

 生え抜きの実力社員を地方にやって、親会社から社長を招いたわけだ。

「中京テレビの2代にわたる怨念と執念が、『どうなの課』や『オモウマい店』を成功させているのではないか、というのです。名古屋からの逆襲です」

 あな恐ろしや。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 3 次へ

[3/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。