〈カムカム〉叔母の懺悔でついに解けた母親への誤解…それでもるいの表情は暗かった理由

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 半年間にわたって耳目を集めたNHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」が終わる。この物語のテーマはなんだったのか。どうして話題沸騰の人気作となったのだろう。

 るい(深津絵里)が安子(上白石萌音)に抱いていた誤解は解消された。同時にるいは自分の間違いに気づかされた。

 第107話(2003年)で叔母の雉真雪衣(多岐川裕美、若年期は岡田結実)から懺悔されたからだ。雪衣は安子を雉真家に居づらくしたことを告白し詫びた。これに対し、るいは言った。

「雪衣さん、もう自分を責めんといてください。みんな…間違うんです…みんな」

 るいの表情は暗かった。無理もない。この言葉は自分自身にも向けられていた。幼い自分も安子を傷つけ、追い込んだ。もはや、るいの側に安子を拒絶する理由はない。

 5つの題材も完全につながった。放送前から知らされていた「ラジオ英語講座」と「あんこ」「野球」「ジャズ」「時代劇」である。

 一見、何のつながりもない題材だった。いずれも衰退期にあるものなので、脚本を書いた藤本有紀さん(54)が応援したいのだろうと思われた。だが、違った。それより遥かに大きな意味を持っていた。

 5つの題材とは離ればなれになっていた安子、るい、ひなた(川栄李奈)を結び付けるデバイス(装置)だったのである。

 まず「ラジオ英語講座」は3代にわたって聴かれただけではない。ひなたが英語をマスターしていなかったら、勤務先の条映撮影所で外国人観光客の案内役やハリウッド映画の通訳は任されていない。すると映画のキャスティング・ディレクターでアニーを名乗った安子との出会い(第102話、2001年)もなかった。

 また「あんこ」によってアニーこと安子はひなたが自分の孫であることに気づいた。大好きだった自分の祖父・橘杵太郎(大和田伸也)から受け継いだおまじないによって、あんこが作られたことが分かったためだ(第107話、2003年)。

「野球」と「時代劇」も3代の結び付きに欠かせなかった。米国生まれの野球と日本固有の文化である時代劇が存在しなかったら、映画「サムライ・ベースボール」は制作されていない。アニーこと安子の来日もなかった。

 そして「ジャズ」。稔と安子、るいにとっての思い出の曲である「サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」があったから、母娘が再会する奇跡が起きる。

 るいの夫・大月錠一郞(オダギリジョー)は、かつてGHQの社交場だった旧岡山偕行社でのクリスマスフェスティバルに、るいも出演するよう勧めた(第107話、2003年)。

「あの特別なステージで歌うサニー・サイドやったら、お母さんに…」(錠一郞)

「届くよ」と続けたかったのだろう。それは現実化するに違いない。

 クリスマスフェスティバルにアニーこと安子を連れてくるのはひなただろう。ひなたは第97話(1994年)まで安子の存在すら知らなかったものの、年を重ねるに連れて血族への思いが募るのは不思議なことではない。身に覚えのある人は多いはずだ。

 日本での暮らしに絶望し、渡米したアニーはるいと対面した瞬間、安子に戻る。第38話(1951年)以来のことである。

メインテーマの普遍性

 なぜ、安子はるいから逃げようとしたのか。もちろん、ずっと、ずっと、気になっていたはずだ。「るいのそばにおりてえ」(第38話、1951年)と泣きそうな顔で訴えていた情の深い母親なのだから。

 けれど、るいの側から「I hate you(嫌い)」と言われ、義絶された。衝撃だっただろう。るいの誤解が解けたことを安子は知らない。嫌われているままだと思っている。それでは誰でも顔を合わせまいとする。どんなに愛しくても。

 この朝ドラのメインテーマは何だったのかというと、「永遠」と「親子愛」にほかならない。3月29日の本稿でも書いた通り、そのメインテーマは放送開始当初から視聴者側に提示されていた。

 安子の旧姓「橘」は古事記、日本書紀の時代から「永遠」の象徴。稔の名字「雉真」の雉は古来、「親子愛」を表す。メインテーマの「永遠の親子愛」そのものなのである。さまざまな仕掛けが施されていた藤本さんの脚本は本当に心憎い。

 メインテーマが普遍的なものだったから多くの人に受け入れられた。朝ドラで初めて3人のヒロインがいたのも腑に落ちる。親から子、子から親への愛情を描くのだからヒロインが1人では難しい。また、ヒロインが母娘2人ではお互いに心に傷があるので、明るさが出しにくい。ひなたの存在は不可欠だった。

 終盤、森山良子が安子を演じることについて賛否の声が上がったようだが、これは避けられないこと。誰が演じようが、不服とする人が出る。その構図は漫画や小説をドラマ化する時と相似形である。

 視聴者側は上白石萌音が演じた第38話までの安子が脳裏に焼き付いている。それぞれが頭の中で「年齢を重ねた安子」の風貌を想像していた。漫画や小説がドラマ化される時、主人公をどんな役者が演じるのかを想像するのと似ている。

 漫画や小説がドラマ化される際もキャスティングに全ての読者が満足することはあり得ない。それぞれが自分なりの主人公の姿を頭の中で思い描いているからだ。それと同じく、誰もが納得する安子も存在し得ない。

 だから森山も矢面に立たされてしまったようだが、その演技は評判高い。主要登場人物6人のうちの1人を演じた1985年のデビュー作「金曜日の妻たちへIII・恋におちて」(TBS)は大ヒット作となった。末期がんに冒されたヴァイオリニストが主人公(羽田美智子)だった2013年のドラマ「第二楽章」(NHK)の母親役も高い評価を得た。

 長男の森山直太朗(45)が主題歌「アルデバラン」を作詞・作曲したから起用されたのではないかという見方もあるようだが、あり得ない。12年前、森山のロングインタビューを数回に分けて行ったところ、直太朗のことに触れるのを極端なまでに避けていた。同じアーティストとして好敵手と捉えているからだ。

 森山のキャスティング問題に気を取られ、万一、終盤の物語の細部に目が行き届かなかった人がいたら、勿体ない。前出の雪衣からるいへの懺悔の場面など終盤も見応えたっぷりだからである。

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