実は守りに強いが攻めには弱いロシア軍 ウクライナ侵攻でも大量の自国兵が死亡する根拠

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 1812年ロシア戦役でロシア帝国はフランス連合軍を撃退した。連合軍を率いていたのはナポレオン・ボナパルト(1769〜1821)。当時のナポレオン1世だった。

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 第二次世界大戦中の1941年から45年にかけて独ソ戦が起きた。こちらもソ連軍がドイツ軍を追い返した。更にソ連軍は進撃を続け、最終的にはドイツの首都ベルリンに到達した。

 当時、ソ連の最高指導者はヨシフ・スターリン(1878〜1953)。ドイツはアドルフ・ヒトラー(1889〜1945)だった。軍事ジャーナリストが言う。

「ロシアがナポレオンとヒトラーの攻撃から自国を守ったという歴史的事実は、ロシア軍のイメージに大きな影響を与えてきました。何しろ、当時のフランス軍やドイツ軍は連戦連勝で、まさに無敵だったのです。ところがロシアとの戦争で敗れたことから形勢が変わり、彼らが追い詰められていく転換点となりました」

 ロシアは軍事大国であり、その軍隊も強い──このような先入観を持っている人は少なくないだろう。

「確かにロシアは、攻め込んできた敵軍は撃退します。守りには強いわけです。しかし、自分たちが他国を攻め込むとなると、かなりの確率で敗北を喫してしまいます。現在のウクライナ侵攻でも、アメリカの情報機関や軍関係者でさえ、当初はロシア軍の圧勝を予想していました。それが実際は、ウクライナ軍の抵抗にかなり苦戦を強いられています」(同・軍事ジャーナリスト)

タンネンベルクの大敗北

 ナポレオン1世の侵略から約半世紀後の1853年、クリミア戦争が勃発する。中東の支配権などを巡り、南下政策を採るロシア帝国と、フランス、イギリス、オスマン帝国、サルデーニャ王国の連合軍が戦った。

「戦史家の中には『勝者なき戦争』と指摘する向きもありますが、少なくとも戦略的には、南下政策に失敗したロシア帝国の敗北と言えます。更に南下政策に固執したロシア帝国は、ヨーロッパ側ではなくアジア側で1904年に日露戦争を起こしました。しかし、こちらも敗北に終わっています」(同・軍事ジャーナリスト)

 1914年に第一次世界大戦が始まると、ロシア帝国はイギリスやフランスと共に三国協商を形成。ドイツへ侵攻するが、タンネンベルクの戦いで大敗北を喫した。

「タンネンベルクは今のポーランドにあります。ロシア軍の総兵力は41万人を超えていたと言われています。一方のドイツ軍は15万人でした。ところがロシア軍は暗号を使わなかったため、無線による命令はドイツ軍に筒抜けでした。ドイツ軍にロシア軍は包囲殲滅され、死者約7万8000人、捕虜9万2000人を出したという推定値が残っています。一方のドイツ軍の死者数は1万2000人程度だったというのが一般的な見解です」(同・軍事ジャーナリスト)

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