お参りするだけで成仏、延暦寺のコスパの良さに驚嘆(古市憲寿)

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 比叡山延暦寺には「登叡成佛」と刻まれた大きな石碑がある。文字通り、比叡山に登り、延暦寺にお参りするだけで、成仏ができるという意味だ。その設定を信じるならば、驚くべきコスパのよさである。

 アクセス抜群の場所ではないが、京都市内からは車で1時間もかからない。駐車場に降り立てばすぐに「登叡成佛」の石碑が見えてくる。こんな簡単に成仏ができるなんて!

 ちなみに延暦寺は、1700ヘクタールもの境内地に、約100の堂宇が点在している。大きく三つのエリアに分かれていて、じっくり見て回ると数時間はかかる。

 気持ちのいい寺院だった。琵琶湖が一望できるという意味でもそうだし、個人的に気に入ったのは課金スポットがたくさんあること。

 賽銭箱はもちろん、鐘を突くのには1打50円(連打禁止)。寺では珍しく、授与所で電子マネーを受け付けてくれる。御朱印は20以上の種類があって、限られた縁日にしか授与されない特別御朱印もある。さらにお土産物屋も充実していて、「比叡山開運巻」や「十二支守護本尊キーホルダー」など、ありがたそうなものがたくさん売られていた。

 全ての寺社がまねてほしいくらいだ。一般的に、なにがしかの意味で信仰心のある人、ご利益に与(あずか)りたい人が宗教施設に行く。だがビジターはもっぱら、お金を落とすことでしか信仰心を発露できない。だから延暦寺のあり方が、とても気持ちよく思えた。

 我々は死後どうなるのか。多くの宗教が説くように極楽や天国があると仮定した場合、どうすればそこに行けるのか。科学的に検証できない以上、諸説が入り乱れている。

 思い出すのは「源氏物語」の「宇治十帖」で描かれる八の宮のエピソードだ。阿闍梨に師事し、仏道修行に励む。晩年は住み慣れた家を離れ、山寺にこもり、「臨終行儀」に則った最期を迎える(角田光代訳『源氏物語』の解説に詳しい)。

 しかし阿闍梨曰く、八の宮は極楽往生ができなかったという。なぜなら死ぬ間際に、ちょっとだけ娘のことを思ってしまったから。臨終の一念が乱れただけで、念願の浄土へ行けなかったのだ。あまりにもシビアな設定である。

 一方で、浄土宗では念仏さえ唱えれば極楽浄土に行けるとされる。いろいろとエクスキューズがつくこともあるが、これもまたコスパのいい考え方である。

 人間にとって、「わからない」ということは大きなストレスだ。メールの返事が遅いことにさえ、やきもきさせられるときがある。殊、死後に関しては、生きている間中、全くわからない。そのストレスを解消するように、数多の宗教が死後の世界を説いてきた。

 結局は、自分が心地よく生きられる設定を信じるしかないのだろう。厳しい修行をしたり、戒律の下で暮らすのが好きな人はそうすればいいし、自由奔放に生きたい人はそうすればいい。僕は、比叡山にも登ったし、50円で鐘も突いたので、成仏できること間違いない。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2022年3月31日号掲載

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