ウクライナ「避難」と「支援」の奔流が交錯する欧州2000キロルポ(上)

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オランダの田舎町から支援物資を

 私は取材の出発点として3月中旬、オランダ南部の人口1000人ほどの小さな町ケルペン・オラーを訪ねた。その数日前、この町の住人がFacebookでウクライナへの支援を呼びかけると、予想の5倍のトラック5台分の物資が集まり、ポーランドのウクライナ国境の町ラディムノへ運ぶことになっていたからだ。

 畑に囲まれたのどかな田舎町の倉庫前は、土曜の朝にもかかわらず渋滞ができていた。十数台の車が順番待ちをしており、ボランティアの住民が交通整理に追われている。古着にマットレス、ペットフードに鎮痛剤。車の後部座席やトランク一杯に詰め込まれた物資が次々に倉庫前の受付所に運び込まれ、ボランティアの住民が仕分けて梱包していく。

 トレーを積み重ねて大量の鶏卵を持ってきたステファニー・フォス(41)はこう話す。

「知り合いに声をかけて、スーパーからはお菓子をたくさん、農家からは卵を540個ももらいました。映画じゃなくて、人々が本当に殺されているの。怒り心頭よ。ふざけんじゃないわ。権力者が助けないなら、普通の人同士で助け合わないと」

 自身は失業中ながら、趣味で集めていた骨董品の時計を売り支援物資としてチーズを買ったという。

「その気になれば、お金はなくても、支援物資は作り出せるのよ」

 彼女のような声が町の外まで広がり、トラック1台の予定が2台、3台と増え続け、ついには5台分を超えた。地元の運送会社が輸送費や保管場所を無償で提供し、運転手たちがボランティアでポーランド南東部のラディムノまで運ぶことになった。その距離約1400キロ。

 1週間の休みをとって手を挙げた運転手レオン・クラーセン(56)に話を聞いていると、近づいてきた女性が彼の右手にくしゃくしゃになった紙幣を無理やり握らせた。

クラーセンが言った。

「道中で何か食べてくれ、だとさ。これでちょっといい晩飯にありつけそうだ」

難民が集まるベルリン中央駅

 私はトラック隊を追いかけ、オランダから列車とバス計5本を乗り継ぎ、ドイツの首都ベルリンへ向かった。

 ベルリン中央駅に着いたのは約6時間半後。プラットホームから階段を下って駅構内の通路に出ると、派手な蛍光色のベストを着た十数人が立ち並んでいた。

「ウクライナ難民のみなさま、ドイツへようこそ。オレンジと黄色のベストを着たボランティアの指示に従ってください」とウクライナ語と英語でアナウンスが流れた。オレンジのベストを着たボランティアはウクライナ語とロシア語を、黄色の方はドイツ語と英語を話すという意味だ。

 ちょうど14番線にポーランド南東部のウクライナ国境近くの街プシェミシルからの列車が到着したばかりで、大勢のボランティアが難民のベビーカーやスーツケースを運ぶのを手伝ったり、行き先を案内したりしていた。

「大丈夫ですか」

 バックパックを背負ってキョロキョロしていたからだろうか、ウクライナ人とは似ても似つかない私まで声をかけられた。

 東西ドイツ統一の象徴として「ベルリンの壁」周辺の跡地に建設された中央駅は、ガラス張りの地下2階・地上3階建てで、吹き抜けホールで階段が立体交差する巨大な迷路のような建物だ。そのいたるところに青と黄色のウクライナ国旗と矢印、そしてウクライナ語やロシア語で記された案内板やポスターが配置されている。

 その矢印をたどってみると、「ほかの街へ」と書かれた矢は地下1階に設けられた体育館ほどの広さの支援スペースへ、「ベルリンへ」との矢は駅の外に出て向かいの広場に建つ巨大な白いテントに行き着いた。

追いつかない受け入れ態勢

 ベルリン市内に滞在する避難民用のテントは、地下1階のスペースが手狭になったため、3月9日にオープンしたばかりだった。難民に食事や衣類を提供し、市が無料で手配する宿泊先まで彼らをシャトルバスで送り届けている。宿泊先も足りなくなって来ており、閉鎖しているテーゲル国際空港が急遽、仮設の宿泊所として開放された。

 支援は当初、一般市民のボランティアが担っていたが、難民の急増で行政や人道団体による組織的対応が進んできた。それでも連日到着する数千人規模の難民に、受け入れ態勢は追いついていない。

 ボランティアのリーダー、ベレナ・ホフマン(37)は、「どこかにベッドを確保して、駅で寝かせることだけは避けるのが目下の課題です。テントが満員になってしまって、寒空の下で待ってもらったこともありました。胸が張り裂ける思いです」と肩をすぼめた。

 家族4人で今朝ベルリンに逃れてきた弁護士のエレナ・コルチェノホバ(39)は、ホテルを自分で手配した。「逃げてきた人が多すぎて場所がないので仕方ありません」

 ウクライナ西部で休暇中に侵攻が始まり、キエフの自宅に戻るのをあきらめた。そのまま夫(39)とともに11歳と4歳の息子たちを連れて、知人や親族を頼ってハンガリーやポーランドを転々とする生活が続いている。

「これからどうすればいいのかわからず、頭が混乱しています。キエフを離れたがらない両親がとても心配です」

チェチェン難民の複雑な胸の内

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると侵攻以来、周辺国へ逃れた人は約390万人(3月28日現在)。ポーランドへ231万人、ルーマニアに60万人、モルドバに39万人、ハンガリーに36万人など空前の規模で、周辺国の受け入れ能力は限界に達しつつある。

 欧州各国は官民挙げて支援センターを主要駅やバスターミナルにつくったり、宿泊先や列車、バスなどの移動手段を無償で提供したりと、受け入れ態勢の拡充を急いでいる。

 欧州連合(EU)は3月3日、旧ユーゴスラビア紛争を受けて2001年に設けた「一時保護措置」を初めてウクライナ難民に適用することを決めた。煩雑で時間がかかる難民認定の申請手続きを経ないで、当面2年間まで滞在許可を得ることができ、働いたり、医療や教育を受けられたりするようになる。

 ただ、もろ手を挙げての受け入れに違和感を覚える人もいる。

「良いことだとは思う。だけど20年前、我々が戦争から逃げてきたときはこんな風に歓迎はされなかった」

 支援テントのわきでウクライナ難民に無料でSIMカードを提供していたジョーと名乗るチェチェン難民の男性(30)は、複雑な胸の内を明かした。

 チェチェンに対するロシア軍の空爆を逃れて欧州に渡ったときは、常に人目を避け、国境を越えるときは車の中に隠れた。まだ10歳だった。

「ウクライナ人だけじゃなくて、すべての人に対応して欲しい。イエメンやパレスチナから逃げてきた人は歓迎されないが、彼らだって同じ人間で、家族もいるんだ」

ダブルスタンダードという批判

 駅構内のプラットホームに続く通路に戻ると、「有色人種を支援します」と書いた紙を手にしたボランティアがいた。通訳カホリナ・エコフ(43)が声をかけるのは、ウクライナ人には「見えない」人たちだ。

「ウクライナのパスポートを持っている人は歓迎されて乗車券を無料でもらえたりしますが、ウクライナ国籍がない人は差別されて『歓迎システム』からはじき出されています。だから支えたいんです」

 アフリカ系留学生が国境で出国を拒まれたり、ウクライナ人に順番を譲るよう強いられたりした、という差別の証言も相次いでいる。ポーランドでもカホリナたちと同じ問題意識から、ウクライナ人以外の人のための緊急宿泊施設がつくられた。

 改めて写真を見てみると、私に声をかけたボランティアも「BIPOC支援」(黒人、先住民、有色人種の略)と書かれた厚紙を手にしていた。

 こうした人種や国籍による「歓迎ぶり」の格差に対し、「ダブルスタンダード」(二重基準)との批判が欧州内外から高まっている。

ベラルーシ国境で今も続く「押し返し」

 EUはシリアなどから100万人以上が押し寄せた2015年の難民危機以降、移民・難民への門戸を狭め続けてきた。ハンガリーやポーランドなどは国境にフェンスを建設し、密入国した難民申請希望者を国境の外へ押し返してしまう「プッシュバック」も常態化した。

 ポーランド北東部の国境では昨年、ベラルーシから密入国を試みた移民をポーランドが押し返したことで、厳寒の冬を前に数千人が森で行き場を失う事態になった。

 EUは当初こそ人道上の懸念を訴えていたものの、ウクライナ情勢の緊張が高まる中、加盟国間の結束を優先して「押し返し」に事実上、目を瞑った。

 その森では今なお、行き場を失ったシリア人やイエメン人、イラク人が見つかっている。支援団体によると、3月16日にも5歳の少年を含むシリア人家族ら5人が森で保護された。食べ物や飲み水は尽き、少年の母親は衰弱した状態だったという。このうち少年の家族ではない2人がベラルーシ側にすぐに押し返された。

 支援ボランティアのモニカ・マトゥスは「何年も爆撃にさらされてきたシリア難民にも助けが必要です。ダブルスタンダードには同意できません。難民を人種で差別して森に押し返すのは国際法違反です」と訴える。

 同じポーランドの東部国境でも、北東部のベラルーシ国境で苦境に陥る中東系難民・移民に関心を向ける人はほとんどいない。

村山祐介
ジャーナリスト。1971年、東京都生まれ。立教大学法学部卒。1995年、三菱商事株式会社入社。2001年、朝日新聞社入社。2009年からワシントン特派員として米政権の外交・安全保障、2012年からドバイ支局長として中東情勢を取材し、国内では経済産業省や外務省、首相官邸など政権取材を主に担当した。GLOBE編集部員、東京本社経済部次長(国際経済担当デスク)などを経て2020年3月に退社。米国に向かう移民を描いた著書『エクソダス―アメリカ国境の狂気と祈り―』(新潮社)で2021年度の講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞。2019年度のボーン・上田記念国際記者賞、2018年の第34回ATP賞テレビグランプリのドキュメンタリー部門奨励賞も受賞した。

Foresight 2022年3月30日掲載

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