中日・立浪監督が振り返る、現役終盤の「代打時代」 「腹が立ったけど、それも勉強」(小林信也)

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三盗を許すと

 立浪は2009年までの22年間、史上最多487二塁打を含む通算2480安打を記録。「ミスター・ドラゴンズ」と呼ばれ、愛され続けた。

 だが、現役終盤の4年間は先発を外され、代打に甘んじる苦汁も味わった。

 立浪もファンも決して忘れられない出来事がある。

 06年7月1日の広島戦だ。この年、落合博満監督は開幕前から報道陣に立浪のレギュラー剥奪を示唆し、森野将彦とサードを競わせた。まだ譲る気のない立浪は懸命に結果を求め、前日の6月30日にはこの年初めて3番サードで先発出場し、ライトへの二塁打を皮切りに5打数5安打と打ちまくった。この時の興奮を立浪自身、著書『負けん気』にこうつづっている。

〈(今度こそレギュラーに定着できるだろう)

「文句なしや」と期待した。(中略)ところが、皮肉にも、私の野球人生が大きく変わったのは、すぐその次の日だった。〉

 翌日の広島戦7回表1死一、二塁。打者・新井貴浩が三振した時、二塁走者・東出輝裕が三盗した。深く守っていた立浪は懸命にベースに入ったが、捕手・谷繁元信の送球が低く、前のめりに捕ったため、背中側に回り込んだ東出にタッチできず、盗塁を許した。その後ヒットで同点にされた。このプレーが監督の逆鱗に触れたようだった。悲痛な心情を、著書に記している。

〈次の日、先発から外された。

 何の説明もなかった。言葉が足りないと、人は反発する。私の中には言葉にならないモヤモヤしたものが残った。〉

 はっきりと「明日からは代打で」と告げられたわけではない。来る日も来る日も立浪は先発出場に備えて準備し、自分の名が先発ラインナップに書かれているはずだと毎試合期待し続けた。しかし、結果的に立浪の出番は代打以外になくなった。新人開幕戦から「先発」が定位置だった立浪にとって、ずっとベンチで試合を見つめ、いつ勝負の一打席が告げられるかわからない代打の苦しさを受け入れるのは容易でなかった。

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