どうして勝てないのか…「鬼門球場」に棲む“魔物”に泣かされた3人の投手列伝

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 二桁勝利を何度も記録したエースであっても、球場によって相性がある。中には何年もの間、同じ球場で勝つことができなかったり、何試合も続けて痛打されたり、なぜかめぐり合わせが悪い“鬼門”のマウンドも存在する。【久保田龍雄/ライター】

「ブルペンより低く感じた」

 東京ドームと相性が悪かったのが、西武・西口文也である。1996年8月3日の日本ハム戦で勝利投手になったのを最後に、まったく勝てなくなった。

「マウンドの傾斜が合わない」ことが理由で、2002年9月4日の日本ハム戦で7回6失点KOされたときも、「ブルペンより低く感じた」と違和感を訴えていた。同年、西武は4年ぶりにリーグ優勝。日本シリーズの相手は、皮肉にも東京ドームを本拠地とする巨人だった。

 松坂大輔とともにエースを担う西口は、本来なら第1、2戦のいずれかに登板すべきところだが、「この球場には魔物が棲んでいる」と苦手意識を持つ男を短期決戦の東京ドームで使うのは憚られた。

 結局、西口は東京ドームの第1、2戦を回避し、3連敗後、西武ドームでの第4戦に先発したが、5回を2失点に抑えながら、勝利の女神は微笑まず、ストレートの4連敗で日本一を逃した。球場との相性の悪さがV逸の大きな要因になろうとは、本人もやりきれない思いだっただろう。

 そして、月日は流れ、07年6月24日の交流戦・巨人戦、西口は6回を1失点に抑え、2対1と勝利投手の権利を得て降板。その後、西武は9回に代打・高山久の2ランで4対1とリードを広げ、西口の東京ドーム11年ぶりの勝利まであと3人となった。

 ところが、その裏、またしても“魔物”が邪魔をする。守護神・小野寺力が阿部慎之助に一発を浴び、木村拓也、二岡智宏の連続二塁打でたちまち1点差。ベンチで見守っていた西口も「オレの11年ぶりを消してくれるのかよ」と気が気ではなかった。

 なおも一打同点のピンチで、代打・矢野謙次の中飛でようやくゲームセット。ハラハラドキドキの末、3977日ぶりの白星を手にした西口は「東京ドームで勝っておきたいというのがあったから、本当に良かった」と心から安堵した様子だった。

“東京ドーム病”と報じられ

 東京ドームといえば、中日の守護神・田島慎二も相性の悪さに泣いた。16年は、9月22日にギャレット、同27日に村田修一と、東京ドームの巨人戦で2試合連続サヨナラ本塁打を被弾してシーズンを終えた。ここまでなら「たまたま運が悪かった」で済むはずなのだが、翌年もまるで呪われたような悪夢が続く。

 17年4月1日の巨人戦、2対1とリードの9回から登板した田島は、先頭の亀井善行を三振に切って取り、代打・村田に安打を許したものの、立岡宗一郎の一ゴロで、勝利まであと1人となった。

 ところが、坂本勇人に四球を与え、2死一、二塁としたあと、阿部にまさかの逆転サヨナラ3ランを浴びてしまう。「ワンバウンドでも良かった。狙ったところより高くなってしまった」と悔やんだが、あとの祭り。

 田島はこの日がシーズン初登板だったため、前年最後の2試合に続いて東京ドームで3試合連続サヨナラ被弾。魔物に魅入られたとしか言いようがなかった。

 さらに負の連鎖は続く。6月25日の巨人戦、中日はルーキー・柳裕也が7回2失点の好投を見せ、3対2とリードの最終回、田島がマウンドに上がった。

 ところが、ここから試合は一気に暗転する。先頭のマギーに二塁打を浴び、陽岱綱のタイムリーで、あっという間に同点。柳の巨人戦初勝利を消してしまったばかりでなく、1死一、三塁から石川慎吾にサヨナラ打を喫し、またしてもサヨナラ負け……。

 田島は「みんなに申し訳ない。柳にも申し訳ない。僕が試合をぶち壊したと書いておいてください」と肩を落とし、森繁和監督も「これから東京ドームでは、(田島の起用を)考えないとな」と悩みを深めた。

 同年は自己最多の34セーブと防御率2.87を記録した田島だが、東京ドームでの防御率は23.14と突出して悪く、“東京ドーム病”と報じられた。

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