白旗状態の検察が不自然な「味噌漬け実験」を行った“本当の狙い”【袴田事件と世界一の姉】
赤みを残すための真空実験
弁護団は「検察側の実験は、実際と全く違う条件で行われている」と主張した。
笹森氏は「検察の実験は、味噌を真空パックに詰めて、おまけに脱酸素剤まで入れている。これでは徐々に酸素がなくなるのではなく、瞬間的に窒息させるようなもの。真空パックは本来、食物保存のために酸素を入れないようにするための袋。味噌樽(タンク)とは全く条件が違う」と語っていた。5点の衣類が見つかったというこがね味噌の味噌タンクには、8トンもの味噌が入っていた。その規模で再現実験せよとは言わないが、もう少し大きな容器を使うなどして自然な形で実験すべきだろう。それにしても真空パックとは……。要は、検察側は「味噌タンクに1年以上漬かっていた血痕に赤みが残ることがあるのか」という検証をしているのではなく、「どうすれば赤みを残すことをできるのか」という実験をやっているようなものである。
検察が2月に裁判所に提出した意見書には「4カ月、5カ月後の血痕に赤みが残った」としたうえ、「血液の量が多い血痕は、全体に化学反応が起こる前に、時間の経過に伴い、凝固、乾燥などで化学反応が起こりにくくなり、赤みが残りやすくなった」としている。
筆者が「大量の血液では凝固(黒くなる)反応が進まないということが一部の実験ではあったのですか?」と訊くと、笹森氏は「それは評価の問題ですが、私らは赤みが残っているとは思わない。無理して考えれば『赤紫っぽいとも言えるかなあ』という感じを、検察官は『赤みが感じられる』という表現で主張しています」と答えた。
「目的を達した」の真の意味は?
「検察が実験を続けたくないのは、そのまま続けると完全に黒くなるのが嫌だからですか?」と訊くと、笹森弁護士は「検事はそうは言わないが『目的は達したので』としている。我々は発見直前に入れたと主張しているが、(実験を)半年くらいやってみてそのタイムラグの間に赤みが残っているとすれば、『直前に入れたんではない』と言えるというのが検事側の言いたいことでは。捏造説は成り立たないと言っていいかな、と思っているのでしょう」と話した。
巖さんは1966年8月18日に逮捕・拘留されている。警察は1年後の1967年8月31日に麻袋に入った5点の衣類が味噌タンクの底から見つかったとし、それを犯行着衣とした。それまでの公判で犯行着衣としていたパジャマから返り血は検出されず、窮地となった検察が変更したのだ。
こがね味噌では、1966年の7月20日にこのタンクで味噌の仕込みをしている。麻袋の発見時は味噌が底の方に少し残っているだけだったが、仕込みではタンクの上まで味噌を入れている。味噌は上から放り込んだ麻袋が沈むような液状のものではないので、巖さんが放り込んだならば、事件発生の1966年6月31日から7月20日までの間でなくてはならない。つまり、放り込まれてから発見まで1年2カ月経っているということになる。
警察が裁判所に提出した衣服の大量の血痕には、赤みが残っている。このため弁護側は「発見直前に捜査側が入れた捏造」と主張している。検察の実験が開始されてから半年が経ち、血痕がこのままどんどん黒ずむことはあっても赤く戻ることなどない。実験をここで止めておいて「発見の直前に放り込まれた捏造」ということだけでも否定したいということなのか。「目的を達した」の「目的」とは何だったのか。再審開始は止められそうにないが、なんとか捏造説だけは否定したいというのが検察の目的に見える。
ほとんど「白旗状態」の検察が必死に抵抗している一因として、2014年3月に巖さんの再審開始と釈放を決定した静岡地裁の村山浩昭裁判長が「捜査機関の捏造」と明言し、警察の捏造に強く踏み込んだことがあると筆者は考える。検察は仮に「誤認逮捕でした。ごめんなさい」とは認めても、「捜査機関の捏造」だけは認めるわけにはいかない。こうしたことを引き出そうと考えての質問ではなかったが、笹森弁護士の回答は再審請求審での検察の本音が垣間見える示唆に富んだものだった。
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