元近鉄・ブライアントが再び日本球界へ ファンが思い出すアンビリーバブル伝説

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「何をやっても抑えられなかった」

 西武の捕手・伊東勤は、後年、筆者が取材した際に、以下のように証言している。

「あの日のブライアントからは、試合前より“今日は絶対打つ”というオーラが感じられた。あとにも先にもそんな選手は見たことなかった。渡辺が投げたのは、高めのストレート。いつも空振りしている球だったのに、あれを打たれたってことは、あの日は何をやっても抑えられなかったんですよ」

 たった一人で全得点を叩き出し、王者・西武を力でねじ伏せた伝説の男は「オー、アンビリーバブル(信じられない)!」と喜びを爆発させた。

 さらにブライアントは第2試合でも2対2の3回に高山郁夫から左中間席に4打数連続となる決勝の49号ソロを放ち、チームを首位浮上させるとともに、マジック2を点灯させた。9年ぶりのリーグ優勝は、まさに“神様仏様ブライアント様”のご利益だった。

推定飛距離はなんと170メートル

“アンビリーバブル伝説”の第2幕は、90年6月6日の日本ハム戦。0対3の4回、先頭のブライアントは、角盈男のスライダーを鋭くとらえ、センター方向に高い弾道の飛球を打ち上げた。「打った瞬間、手応えがあった」という打球は、東京ドームの高さ44.5メートルのスピーカーを直撃すると、跳ね返ってバックスクリーンの手前に落下した。

 審判団が協議した結果、特別ルールにより、史上初の認定本塁打となった。推定飛距離は、なんと170メートル。五十嵐洋一一塁塁審も「背筋が寒くなるような当たりだった。もしスピーカーがなかったら、スコアボードまで飛んでいっただろう」と人間離れしたパワーに脱帽するばかりだった。

 実は、前日の試合でもブライアントは天井直撃弾を放っていたが、跳ね返って打球がセカンド・五十嵐信一の頭上に落ちてきたため、これまた特別ルールにより、二飛でアウトになったばかり。「ボールが上で止まってくれれば二塁打だったのに……」と悔しがったブライアントは翌日、球史に残る“倍返し”できっちり落とし前をつけた。

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