元近鉄・ブライアントが再び日本球界へ ファンが思い出すアンビリーバブル伝説
大麻不法所持でデービス逮捕から
1988年から95年まで8年間にわたって、近鉄・いてまえ打線の主砲として活躍したラルフ・ブライアントが、独立リーグの北海道フロンティアリーグ・士別の監督に就任することが決まった。今でも40代以上の野球ファンの脳裏に鮮烈な記憶を残している、ブライアントのNPB時代の“アンビリーバブル”なエピソードの数々を紹介する。【久保田龍雄/ライター】
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1988年、中日に第3の外国人として入団したブライアントは、1軍にゲーリー・レーシッチと郭源治がいたため(当時は登録2人制)、開幕からずっと2軍暮らし。「毎日練習ばかりで最悪の1ヵ月半だったよ」と回想する。
そんな矢先の6月7日、近鉄の主砲、リチャード・デービスが大麻不法所持で逮捕された(同27日に解雇)。そして、この事件がブライアントの“運命”を大きく切り開いた。
近鉄は急きょ、代わりの助っ人を探す必要に迫られたが、獲得期限は6月30日とあって、渡米している暇はない。そこで、中日の2軍でくすぶっていたブライアントを譲渡してもらうのが手っ取り早いということになった。中日も郭とゲーリーが活躍しているので、話はすんなりまとまった。
ギリギリの状態で軌跡の4連発
6月28日に近鉄移籍が決まり、翌日に1軍登録されたブライアントは、これまでの鬱憤を晴らすかのように、出場74試合で34本塁打を放ち、勝率5割そこそこだったチームを一転V戦線に浮上させる。あの“伝説の10・19”は、ブライアントがもたらしたと言っても、けっして過言ではないだろう。
「10・19」の最終戦でロッテと引き分け、あと1歩で逆転Vを逃した近鉄は翌89年、西武、オリックスと三つ巴のV争いを演じた。そして、10月12日。もう1敗もできないギリギリの状態で、首位・西武との天王山決戦に臨んだ。
ダブルヘッダー第1試合は、3回を終わって0対4。この嫌なムードを一変させたのが、ブライアントのバットだった。
5回、郭泰源から46号ソロを放ち、一矢報いると、1対5の6回にも郭のスライダーを右翼席に起死回生の同点満塁弾。そして、5対5の8回、西武はブライアントが大の苦手とする渡辺久信をぶつけてきたが、まったく苦にすることなく、右翼席上段に48号決勝ソロを叩き込んだ。
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