戦後の共産主義者釈放、歓迎会の主催は朝鮮人団体だった 「赤旗」の再刊資金の出どころは
出獄声明書の中身は
会場では、府中刑務所の獄内で徳田球一や志賀義雄が準備した出獄声明書「人民に訴ふ」が売られていた。そして午後5時少し前、占領軍に対する感謝デモの実施を決議して、会は閉じられた。
「人民に訴ふ」は全部で7項あり、第1項に「ファシズム及び軍国主義からの世界解放のための連合国軍隊の日本進駐によって、日本に於ける民主主義革命の端緒が開かれたことに対して我々は深甚の感謝の意を表する」と書かれ、占領軍を解放軍と位置づけ感謝をしている。
第2項では、「米英及び連合国の平和政策への積極的な支持」を打ち出し、また第3項では「天皇制の打倒」と「人民共和政府の樹立」を掲げている。第4項では、「軍国主義と警察政治の一掃は人民政府によってのみ遂行される」としている。第5項は、土地の没収と無償分配、労働組合の自由など生活改善、18歳以上の男女への選挙権の付与と国民議会の建設、刑法中の皇室に対する罪、治安維持法、治安警察法の撤廃などをあげている。第6項には天皇制の権力と妥協した勢力の否定。第7項には「釈放された政治犯人」すなわち共産主義者がこれらの任務を担い、この目標を共にする団体や勢力と統一戦線をつくり、人民共和政府を樹立する方針を掲げている。
再建共産党の原点
「人民に訴ふ」は、再建期の日本共産党の方向性を示す重要な文書である。戦後はじめての日本共産党の綱領が1945年12月、19年ぶりに開かれた第4回党大会で決定された。綱領は、党活動の目標、および根本方針を明らかにするものである。前文には、「天皇制の打倒」と、「連合国軍」の日本進駐により民主主義変革の端緒が開かれ」たと書かれている。この2点は「人民に訴ふ」に明記されていることから、同文書は再建日本共産党の原点といえよう。
「『人民に訴う』はすでに府中刑務所の中で活版刷りのものを用意していました」
こう回顧するのは、府中刑務所の予防拘禁所で、徳田球一と共に過ごした山辺健太郎である。
「『人民に訴う』は、徳田君が草稿を書いて、私たちも意見を述べた。徳田君は直言すれば聞く人だったけれど、『獄中一八年』という威力があるから、文句をいう人が誰もいない。それで通ってしまうんですね」(山辺健太郎『社会主義運動半生記』岩波新書)
日本共産党再建に向けてもっとも重要なこの声明文は、徳田球一ほか日本共産党幹部が、府中刑務所の獄内で準備をし、10月10日の朝、日本人党員の吉岡保の手で上野稲荷町の桂山印刷所から、出獄歓迎人民大会が開かれた芝の飛行会館までオート三輪で運ばれたという(大森実『戦後秘史4 赤旗とGHQ』講談社)。
これについては、日本人共産党幹部の手で準備されたことは疑う余地もない。そしてそれが最初に世に出た場所は、「自由戦士出獄歓迎人民大会」だったのである。
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