創部12年で甲子園初勝利!“公立の星”和歌山東が見せた「驚愕のスクランブル継投」

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春夏通じて初めての出場

 雨天順延により、予定より1日遅れとなる3月19日に開幕した選抜高校野球。出場32校が全て登場するまでの期間、目に付いた選手、プレーについて独自の視点から掘り下げて、現地からレポートしていきたい。【西尾典文/野球ライター】

 大会第1日でまず強く印象に残ったのが、第2試合に登場した和歌山東(和歌山)の戦いぶりだ。同校は強豪の多い県内でもコンスタントに成績を残しており、昨年中継ぎとしてブレイクした津森宥紀(ソフトバンク)の出身校としても知られるが、甲子園は今大会が春夏通じて初めての出場である。

 試合は、延長11回に和歌山東が一挙7点を勝ち越して、8対2で倉敷工を破り、悲願の甲子園初勝利をあげた。驚かされたのが“継投策”と“シート変更”だ。

 先発したエースの麻田一誠は7回まで被安打2、1失点と好投を見せていたが、8回に2つの四球を与えてワンアウト一・二塁のピンチを招いたところで、背番号11の田村拓翔へ交代。結局、この場面は田村が後続を抑えて無失点で切り抜けるが、その後は再び麻田、ライトを守っていた山田健吾、そして11回のツーアウトからは三度、麻田が登板する“スクランブル継投”で倉敷工を5安打、2点に抑え込んで逃げ切ったのだ。

 ちなみに、エースの麻田はピッチャー、セカンド、ショート、ピッチャー、ライト、そしてピッチャーと5度にわたるシート変更で4つのポジションを守ったが、このようなケースはそうそう見られるものではない。

「もう一度田村で行こう」

 田村、山田という2人の左投手を小刻みに投入した意図について、米原寿秀監督は以下のように話している。

「どちらの場面も左バッターだったので、左ピッチャーの田村と山田に任せようと。(麻田は)いい感じに投げていたんですけど、終盤になって相手打者も合ってきていたように感じたので思い切って交代しました。(麻田をベンチに下げずにあらゆるポジションを守らせて残したことについては)相手の右バッターが本当に麻田を打ちづらそうにしていたので、右バッターが回ってきたら、もう一度麻田で行こうと思ってベンチには下げませんでした。継投についての迷いはありませんでした」

 田村が1人を抑えたところで、麻田はセカンドからすぐにショートへと守備位置を変えている。この狙いについても米原監督は「相手バッターの打球方向を私なりにイメージしまして、できるだけ(麻田に)打球が飛ばないようにと考えて守らせました」と話している。

 2007年には県立和歌山商でも甲子園出場の経験を持つ米原監督だが、初出場となるチームで、これだけ大胆な起用を見せたのは見事という他ない。

 また、米原監督はできるだけ麻田に打球が飛ばないよう考えてポジションを変えたと話していたが、内野手としての練習はしていたとのことで、麻田自身も「打球が飛んで来たら絶対さばいてやろうとい気持ちで守っていました」と話していた。決して一か八かのギャンブル的なポジション変更だったわけではないだろう。

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