日本人から台湾人になってわかる 「二重国籍」でしたたかに生きる台湾の知恵
コロナ禍からの回復がなかなか進まない不安の中で迎えた2022年。冬季オリンピック・パラリンピックが中国で開かれた。折しも「米中対立」とも呼ばれる現在の不安定な国際構造の中、その最前線に立たされている国が私の住んでいる台湾だ。
1989年6月、天安門事件の衝撃に揺れる北京での語学留学を終え、同年8月に居住地を台湾に移してから、今年で34年目になる。2020年11月に日本へ一時帰国した私は、数カ月の滞在だったはずが、コロナ禍に振り回されてダラダラと滞在を続け、2021年12月、オミクロン株が徐々に拡散する中で1年ぶりに台湾に帰還した。
まるまる2週間、厳重な監視下のホテル隔離を経た後に台北の街に出て、真っ先に向かった場所は、居住地区の区役所。中華民国(台湾)への帰化申請書類を提出するためだ。
どうして60歳にもなろうというタイミングで、いまさら台湾国籍を取得するのか。そう聞かれると単に「権利があるから」(私の配偶者は台湾人で、居留年数も5年を過ぎているため国籍取得の権利がある)と答えているが、もう少しカッコよく言うならこういうことだろうか。
すでに日本に暮らした年月よりも長い歳月を過ごした台湾の籍に入ることで、自分の中に残っていた外国人気分と、長年曖昧だったアイデンティティーに変化があるかもしれないと感じていたこと。それに加え、コロナ禍の1年間を日本で過ごして、台湾社会と日本社会の活力の差を強く実感したのも大きかったと思う。
核家族化によってすっかり崩壊してしまった日本の家族関係と違い、台湾の家族というのはまだ昔ながらの良きシステムを保っていて、事あるごとに集結して団欒し、老人は一族の誰かが中心になり面倒を見る。一方の日本はどうだろうか。互いの遠慮もあるだろうが、親戚同士が訪ね合うことも(台湾人と比べれば圧倒的に)少なく、疎遠状態は深まるばかりだ。
また台湾人の多くは中国大陸でビジネスをしたり、アメリカに移民したりと、そのネットワークは国際的だ。彼らは一族のネットワークをフル活用して、世界中の情報を共有している。バブル崩壊以降だんだん内向きで保守的となり、緩やかに衰退に向かいつつある日本とは、メンタリティーもバイタリティーも差があるように見えてしまうのだ。
前置きが長くなってしまったが、そういうわけで私は、日本滞在中に実家などを整理し、長年連れ添った台湾人の妻の一族に改めて婿入りするような気持ちで台湾社会へ戻ったのだった。
日本国籍が放棄できない
ところが、日本人が台湾人になるというのは、思っていたよりもかなり大変な仕事だった。私自身の国籍変更手続きを振り返る時、台湾という国の置かれた特殊性が改めて浮き彫りになるような気がするので、ここでその珍しい経験を共有したいと思う。
まず私は、自分で台湾籍を取得しようと考え始めるまで、祖国日本が二重国籍を認めない国であることさえ把握していなかった。中国や日本などの限られた例外を除き、世界的には多くの国で重国籍が認められている。外国暮らしが長かったせいか、私は単純に2つの国籍を同時に持てるものと考えていたのだ。
したがって、私がまずやらねばならないことは、日本の法務局で「国籍離脱」の申請を行うことだった。これは「日本人をやめます」と自己申請することだよな、と改めて冷静に考えると、少しドキドキした。ただ、もしこれがアメリカ国籍を取得する場合なら、そのまますんなり日本国籍の放棄が認められるのだが、私の場合、戻ってきたのは「国籍喪失届不受理証明書」――。「日本籍を離れます」と自己申請しているのに「それは認めません」と突き返されるわけだ。なんと不条理なことなのだろう。
ここで私は、日本人が台湾籍を得ることが思いのほか特殊な行為なのだと実感した。二重国籍を認めない日本政府は、通常であれば、まず日本国籍を離脱してから相手国に帰化申請をするよう指導する。ところが台湾籍を得ようとする者に対しては、「我が国と国交のない台湾へ帰化しようと要請するあなたは、無国籍状態になってしまう懸念もあるので、国籍離脱は認めません」という意味の「国籍離脱の不受理」を告知するのだ。
この流れをよくわかっている台湾側は「国籍離脱の不受理証を日本政府からもらったということは、日本政府が貴方の国籍返上に関して関知しない、という意味だから、台湾側での帰化手続きが進められる」という理屈で、この不受理証を必須文書とする。両国の事務方とも「建前はそうなってます」という感覚で、このような茶番めいた書類のやりとりをするのだ。
横浜地方法務局長(私の実家が神奈川県なので)のハンコが押された不受理証明書を台北の区役所に提出すると、次は台湾の基本生活知識を中国語で理解できているかを判断する筆記試験を受ける。区役所へ申請を出す際の規定、帰化後にどんな義務や権利が発生するか、DV(ドメスティック・バイオレンス)を受けたらどこに電話するか、という質問まであった(私の結果は90点で合格)。さらにいくつかの事務的な確認を受けた後、4日後に帰化申請は承認され、3カ月ほど待つと「仮免」とでもいうべき「台湾地区居留証」が発行される。この段階で、外務省にあたる外交部で手続きすれば仮パスポートも発行してもらえる。そして通常の流れでは、「仮免」発行の1年後、正式なIDカードである「中華民国国民身分証」が発行される運びとなるわけだ。
帰化に前向きな日本人女性
今回、帰化の手続きをするにあたって、500人近い会員を持つ在台湾日本人の組織「居留問題を考える会」からの説明が大いに参考になった。そこでは、様々な動機で日本から台湾に帰化する人々の例を知ることができた。最も多いのは、台湾に嫁いだ日本人女性だという。台湾人の夫が退職あるいは死亡した時、給付金や年金、相続の問題において外国籍であることで不利にならないように、という動機だ。すでに日本には帰る家もなく、老後の不安を感じたシニア女性が、台湾の介護や福祉システムを十分に受けられるよう帰化を決意するのである。あるいは「子供が成長するまで待ったが、もう配偶者とその一族には我慢の限界なので、帰化が認められた瞬間に離婚届けを突きつけます」と気丈にもシニア離婚を決意している女性もいた。
他方、最近は若い世代の人の帰化申請も増えているという。「居留問題を考える会」の関係者いわく、「特に30代前後の日本人女性は以前より戦略的に見えます。台湾に長期居留したいために、現地の人と結婚してまず配偶者ビザを取得し、帰化する権利が整った途端、そそくさと帰化手続きを始める人が意外と多いですね。彼女たちの考えは、配偶者とはいつ離婚になるとも限らない、その前に手を打っておく、というものです」
以前の社会システムでは、女性が離婚をするというのは家族からのステップアウトを意味し、嫁ぎ先の家族に一生を尽くす、というのが美徳でもあったが、その家族システムが崩壊しつつある現代にあっては、日本の若年世代の生き方も多様になっていると感じる。私のように、日本という国に明るい未来を感じない日本人も増えたかもしれない。少し前の世代なら「やはり日本がいちばん住みやすい国」と信じて、いつかは日本に帰るつもりで国籍変更まではしない人が多かったと思うが、時代は流れ、新たな“日本人移民”たちが生まれつつあるのだろうか。
ビジネス面でのメリット――巨大な中国市場へのアクセス
もちろん、面倒な手続きを嫌い、帰化せず「外僑永久居留証」で一生を全うする在台日本人も多い。特に男性は女性に比べ、わざわざ台湾籍を取得するメリットを感じないようだ。ただ、ビジネス面で国籍を必要とするケースはある。(漢方)診療所を開業するにあたって、「外国籍での開業は認められない」と言われ国籍を取得した人もいる。
また、意外と知られていない台湾籍のメリットとして、「『台湾同胞証』を持っていれば、中国に自由自在に滞在できる」ことも挙げられる。
この「台湾同胞証」(正式名称は「台湾居民来往大陸通行証」)というのは、かなり特殊な渡航証だ。中華人民共和国は台湾を国として認めず、台湾人を「台湾同胞」という中国国民の一種と位置付けており、台湾人が所持する中華民国パスポートの効力を認めない。それを解決するために作られたのが「台湾同胞証」なのだ。要は、中国に入国する時のみに効力を発揮する通行証である。これは日本人の身分ではありえない特殊な証明書なので、あったほうが得だと感じた。
かつて私が新疆ウイグル自治区を旅行した時のことだが、現地の役人に「パスポートを見せろ」と言われて提示したところ、「ビザがないじゃないか」と難癖をつけられて足止めをくらったことがあった。日中間では短期の旅行ならビザは不要なのだが、その役人はそれを知らなかったのだ。中国はとても広い国なので、田舎に行くとこういう面倒事はまま起きる。しかし、「台湾同胞証」を持っていれば、こうした事態は避けやすくなる。
「台湾同胞証」にはもともと、中国政府から台湾人への「飴とムチ政策」としての要素もあった。中国に居住地登録をすれば、台湾人の滞在は制限なし。中国人民と限りなく近い扱いを受けられる。まさに同胞の証しであり、大陸とのビジネスにおいては大切なツールとなる。ちなみに、台湾の身分証には中国語名も記載できるので、日本の本名とは違う華人らしい名前をつけ、名実ともに中国人になりきることもできる。なんだか別の人格を得られるような気がした。
ただ、帰化をしない知人からは「『台湾同胞証』だって、北京政府からの通達ひとつで、中国国内のあちこちでイヤがらせを受けて、入管でメチャクチャ待たされることもあるそうですよ」と、「台胞証」が万能でないことをほのめかされた。「台胞証」には、中国側が台湾人をビジネス優遇策によって引き入れ、少しずつ中国に同化させようという意図もあり、ひいては中台有事があった際の人質になる、というリスクも出てくる。ビジネスのために中国に駐在する台湾人は最大時で200万人といわれており、その数は実に台湾の総人口の1割弱にも上る。仮に中台有事が起きた場合、台湾当局は彼らを見捨てて抵抗を継続できるのか、頭を悩ませることになるだろう。
放棄した国籍を再び取り返す台湾系華僑
手続きの合間に、横浜中華街の知り合いにも帰化の相談をしたが、そこで驚くべき事実を知った。いったん中華民国籍を離脱して日本に帰化した元台湾人たちの多くは、国籍回復という形で再び台湾籍を取り戻すという、日本人が考えも及ばない離れ業的な手続きをしているというのだ。
二重国籍といえば、現立憲民主党の蓮舫議員が、台湾と日本の二重国籍状態であったことで議論が沸騰した。蓮舫氏以外にも、作家の東山彰良氏、歌手の一青窈氏、俳優の余貴美子氏、タレントの渡辺直美氏など、日本にも台湾をルーツに持つ著名人は少なくない。台湾に生まれて日本に拠点を移した人や、在日台湾人家庭に生まれた台湾系華僑と呼ばれる人々は、全国に散らばっており、蓮舫氏のように幼少期から2つの国籍を持ち、成人になっても両方の国籍を保持し続けている二重国籍者は少なくない。
すでに述べたように日本は二重国籍を認めていないから、日本国籍を持ちたい台湾人は、中華民国籍を放棄して日本人となるほかない。ところが少し時間をおいて、やはり台湾籍も持っておきたいということで、日本人の身分で台湾籍を取得して(つまり私が行ったのと同じ手続きで)二重国籍になる。それだけの面倒を惜しまずに台湾籍を回復する彼らは、よほど自分のルーツにこだわりが深いのだろう。蓮舫氏の場合は国会議員という立場だったために、公職選挙法上の規定に抵触する恐れもあり大きな批判にさらされた。ただ、公人という立場でさえなければ、国交のない日本と台湾の間で暮らす台湾系華僑の生き方としては、日台二重国籍というのは決して珍しいケースではなかったと思う。
日本人は台湾籍を取っても選挙には出られない?
400年以上も前から移民の集合体で成り立っている台湾社会は、伝統的に移民に寛容だ。近年は、ここ20〜30年で増加した「中国人妻」や「ベトナム人妻」の帰化手続きが急増したため、これら新しい帰化住民を「新移民」と位置づけ、各自治体は彼らの受け入れ環境を整備している。
中国人妻については1990年代、改革開放のアクセルを加速した中国本土と台湾が急速に接近した結果、台湾人と中国人の婚姻が増えた。また農村部には嫁が来ないなどの理由で、比較的に貧しいベトナムからの嫁取りがブームになった。他の東南アジア諸国から嫁いでくる女性もいるが、台湾人男性は色白の女性を好む傾向が強く、圧倒的にベトナム人妻が多い。ピーク時の2003年には台湾人と国際結婚する外国人が年間5万4634人(内政部資料より)に達したが、その半面、偽装結婚などの各種問題も顕在化した。そのため、同年から移民を監督する「移民署」が面接などの対策を強化した結果、ここ15年ほどは年間2万人強に落ち着いている。とはいえ、台湾に暮らす外国籍配偶者(帰化者を含む)は56万人を超えており、少子化の時代に大した人口増である。すでに台湾の原住民の総人口(約50万人といわれる)を超えていることになる。
日本から帰化する人々も「新移民」に含まれるわけだが、実は私には台湾籍を取得したらチャレンジしてみたいことがあった。新移民が集住するエリアで、新移民たちの暮らしをサポートする市民サービスを充実させたい。そのために、いずれは「里長(最小単位の地区長)」を目指して選挙に出馬してみようかと、ひそかに考えていたのだ。
私の“野望”について、日本の知人たちはたいてい驚いて「なんでそんなことをするの?」と聞いてくるのだが、私はもちろん「権利があるから」と答えている。せっかく参政権が与えられるのだから、立候補してみたっていいではないか。ところが、帰化手続きを進める中で「帰化後10年間は被選挙人として立候補できない」「中華民国籍以外の国籍を所持している間は公務につくことはできない」という条項を見つけてしまった。
これは万事休すだった。なにせ日本政府は私の国籍放棄を認めてくれないのだ。仮に日本国籍を放棄していれば、帰化後10年待てば(その時はすでに70歳だが……)、台湾の公僕として奉仕することも可能だが、国籍放棄ができない仕組みになっている以上、この望みは一生絶たれるわけだ。したがって私は目下、別の角度から台湾社会に貢献していく方法を模索している。
台湾人の懐に入るためには台湾語のマスターを
現実問題としては、台湾に暮らしてすでに33年になるので、国籍が変わったところで自分の生活が変わることはないだろう。あるとすれば、今後は「台湾新移民の広橋」の自覚を持って、新参者として新たに台湾社会に受け入れてもらう努力が必要だと思っている。
新移民にとって大切なのは、台湾で「普通話(プートンホワ)」と呼ばれる標準語としての北京語に加え、台湾語(閩南語―福建語のひとつ)を習得することだと感じた。台湾語ができるかできないかで、周囲の評価はずいぶん違うものになる。台湾語の話者が多い中南部では特に、「我々の言葉を使いこなすなら、仲間とみなす」という空気を肌で感じる。台湾語で会話ができてようやく、彼らの懐に入ったという実感を持てるわけだ。
かといって、私は今でも日本国籍を持つ日本人でもある。完全に台湾人になりきる必要もないのではないか、とも感じる。腹の奥には日本人魂を持ちつつ、台湾社会と折り合いをつけていくことになるのだろう。新移民として生きていく上では、まだまだ見えない壁はいくつも立ちはだかっているはずだ。とりあえずは新しい国籍の取得をきっかけに、環太平洋を含むアジアの住人の1人として、人間の幅を広げる第一歩として、「日本を離れて俯瞰してみる」ことを意識して生活してみようと思う。その先にどんな世界が待ち受けているか。新しい人生の始まりである。