涙のUターン事件、野球部員に試験免除… 春の選抜を不祥事で出場辞退したのは過去12校もあった

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レアな理由で出場辞退

 門司といえば、52年第24回大会に出場予定であった門司東(現・門司学園=福岡)は出場辞退の理由がかなりレアなケースである。“学校の上層部が余計な気を回し、春の選抜出場を控える野球部員の学年末試験を免除し、合宿させていた”という理由だった。問題が発覚した経緯も特異だった。3月下旬の夕方、ある新聞社の記者が西鉄の電車に乗っていると、目の前に座っていた2人の門司東生が「選抜出場の練習がきついだろうからという理由で学年末試験が免除された」という聞き捨てならない話をしていたというのだ。記者は急いで取材に走り回り、最後は校長にもコメントを求めた。記事は朝刊の社会面トップとなり、その日のうちに九州高体連の緊急理事会が開かれ、門司東に出場辞退を勧告する決議が行われた。門司東ナインはすでに兵庫県西宮市内の宿舎に着いていた。

 代わって補欠校の長崎商が出場し、ベスト8まで勝ち抜いている。ちなみにこのときの門司東のエースは卒業後の54年に南海ホークス(現・福岡ソフトバンク)に入団する宅和本司(同期入団にはあの野村克也がいる)だった。パ・リーグ初の投手三冠王を達成した名投手で、同校が前年秋の九州大会を制覇した原動力となっていた。本番でもかなりの活躍が期待されていただけに、無念であったに違いない。

 その後、門司東は同年夏の福岡県大会で敗退。以後、1度も甲子園出場を果たせぬまま、09年3月に閉校となった。閉校式後の懇親会において、学校側から謝罪の気持ちを込めた功労賞が宅和ら当時の野球部OBに送られている。幻となった甲子園出場から実に57年後に光が当てられたのであった。

 以上の例は多くが今よりも規範が厳格だった時代の出来事だ。現在では不祥事の責任の対象が徐々に狭められている。たとえば08年6月に2年生部員の部内暴力が明らかになった龍谷大平安(京都)に対し、3年生部員のみで夏の京都大会に出場することを認めたケースがあった。その際には“幻の選抜”となった球児たちの涙があったことを忘れてはならない。

上杉純也

デイリー新潮編集部

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