涙のUターン事件、野球部員に試験免除… 春の選抜を不祥事で出場辞退したのは過去12校もあった

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 春の選抜甲子園が、18日にいよいよ開幕する。各都道府県大会の終了からすぐに開幕する夏の甲子園と違い、春は出場校決定から開幕まで約2カ月あるため、この間に不祥事を起こし出場辞退に至ったケースが過去12回もあったことはあまり知られていない。中には野球部に関係のない問題で処分を受けたチームもあった。

 選抜史上出場辞退の第1号は、1935年第12回大会の浪華商(現・大体大浪商=大阪)だ。今となっては戦前の出来事なので詳細は不明だが、兄弟校の経営トラブルが刑事事件に発展したことに加え、学校の不審火などが原因だったようだ。代わって出場した補欠1位の中京商(現・中京大中京=愛知)は準々決勝まで勝ち進んでいる。浪華商はこの23年後の58年第30回大会も、野球部員ではない一般生徒の恐喝事件で出場を辞退。春だけでなく夏も含む史上唯一2度の甲子園出場辞退校という不名誉な記録を作ってしまった。

 一般生徒の暴力事件で涙を飲んだのが71年第43回大会の北海(北海道)だった。3月13日に2年生生徒による3年生への暴行事件が起きてしまい、被害者の3年生が入院する大事に。当初、職員会議では「野球部とは関係ない事件だから出場させよう」という意見が大勢を占めていたという。ところが、夕刊で事件が大きく報じられると一転、出場辞退を決定した。

 このとき、すでに北海ナインは甲子園へ向かって、青森県への青函連絡船に乗り込んでいた。船が青森に近づき、バッグを持ってデッキに出た選手たちに対し、藤田英雄監督が「戻れ!」と告げた。あまりにも突然で残酷な命令であった。不祥事が起きたことは聞いていたものの大丈夫だろうと思っていたナインたちは、下船することなく函館へ引き返すことに。この出来事は“涙のUターン事件”と呼ばれ、高校野球史の哀しい事件のひとつに数えられている。

 唯一救いだったのは1年間の対外試合禁止は免れたことだ。この後、チームは試練を乗り越え、春季北海道大会から夏の南北海道大会まで公式戦15連勝をマーク。見事リベンジを果たし、夏の甲子園出場の切符を手にした。

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