元「夢アド」京佳、最後はヌードでグラドル引退 本人が語る“22歳の決心”

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 グラビアアイドルの京佳は、生き急いでいるとよく言われる。

 現在22歳。年齢でいえばことしの新社会人と同じ年だが、すでにグループアイドル、グラビアアイドル、YouTuber、個人事務所の社長とさまざまな肩書きを経験してきた。3月4日にはヌード写真集「FRONTERA」(講談社)を発売し、この一冊を最後にグラビアからも引退。4月からは海外留学する。なぜ今、彼女は多くの決断をするのだろうか。【徳重龍徳/ライター】

 取材場所のクラシックな応接間とは対照的に、京佳は明るく、よく笑う今どきの女性だった。漢字でいえば陽。アイドルには自分を作るタイプもいるが、素をそのまま出すタイプに見えた。

 幼少の頃に両親は離婚。小学3年生で芸能界入りするも、中学1年生で挫折がやってくる。ファッション雑誌「ピチレモン」のモデルが目標だったが、夢はかなわなかった。

「雑誌は当時、高身長のモデルを求めていて縁がなくて。ピチレモンモデルになれないし、芸能はもういいとなった。中学校にもなじめてなくて、海外への憧れもあって、学校の先生に海外留学に行きたいと相談してた」

 そんな時に事務所が結成するアイドルグループ「夢みるアドレセンス」(夢アド)のメンバーに選ばれた。「私もメンバーも3ヵ月くらいで終わると思っていた」とグループには7年以上も在籍した。

 転機となったのは14歳でのグラビアデビュー。年齢に似合わぬ豊満なバストで「プロフェッショナルロリ巨乳」と呼ばれ、人気となった。2017年には初写真集「Thankyouka!!!」を発売し、雑誌の表紙も飾った。2020年には自費出版の写真集も3冊出している。グラビアアイドルは天職だった。

 インタビュー中、京佳は何度もグラビアへの愛と感謝を口にした。

「グラビアがすごく好き。自分が商品で、自分が綺麗になって残る。自分が一番かわいいと言われる仕事で、こんなに面白い仕事はない」

 実は京佳には、胸部と脇の下に大きな傷がある。生まれつき心臓の左右の心室を分ける壁に穴が開く「心室中隔欠損症」で、生後すぐに手術をした。障がい者手帳も持っている。

「あんまり言っていないけれど、心臓に穴が空いて生まれてきた。今は完治してるけど、傷もけっこう大きくて、14歳で最初にグラビアをやる時は抵抗感はありましたね。胸の傷はおっぱいが大きくなったから隠せているけれど、脇の傷は腕を上げると隠せなくて。それでもグラビアをやれたのは面白かったし、楽しかったから」

 傷の説明を自分からはしないが、ある撮影後の食事会、傷が話題になったことがあった。

「カメラマンさんに『その傷は生きてきた勲章だよね。修正で消さなくてもいいくらい』と言ってもらえて、涙が出そうになりました。傷のある人みんなには、その傷があるから今、生きてるのだからと言いたい。人一倍生きてやろうとか、それ以上に強い物を持っているはずで、コンプレックスに思わないでほしい」

グラビア卒業、そしてヌード

 2019年、グラビアと並行して続けた夢アドを卒業。その年の9月には所属事務所を退社する。YouTubeでグループ時代の給与の少なさを明かすこともあったが、グループには感謝している。

「夢アド時代にできた人脈がすごく役立ちました。いきなりフリーになって、グラビアを始めますと言ったって、写真集を出せたかと言ったらそれは違う。だから夢アドには感謝してます」

 2020年1月には自らが社長を務める株式会社「KYOinc.」を設立し、ファッションブランドも立ち上げた。ただアイドルを卒業した後は目標が見えず、モチベーションも上がらなかった。好きだったグラビアを休養しようと考え始めたのは2020年の秋だった。

「グラビアは大好きだけど、いろんな雑誌にも出させてもらって、グラビアの京佳としてのアッパー(上限)がなんとなく見えた。自分の中には25、26歳まで続ける熱量はない。楽しいけれど、いつまでもここにいたらいけない気がした」

 ちょうど同じ頃に、海外留学という目標ができた。

「2020年ごろから外国の友達がけっこうできたんですけど、英語を全然しゃべれなくて、自分のキャパシティせまっ!と思った。英語をしゃべりたいなと思ったし、中学時代に留学したかったことも思い出した」

 準備時間も考え、留学は2022年4月にすると決めた。漠然とした今後のイメージが固まると、再びグラビアへの熱が湧いてきた。2021年は雑誌のグラビアだけでなく、イメージDVDを2本、さらにこれまでやってこなかった撮影会と、オファーがあったものは全部受けた。

「中途半端にはグラビアをやめたくなかったし、何かを残したかった。2021年はぜんぜん遊ばず、めちゃくちゃ仕事ばかりやってたので収入も増えました(笑)。精力的に頑張っていたら、その頑張りを見てくれる人がいて、偶然そのときにヌードの話があった。神タイミングでした」

 そして2021年の夏、講談社からヌード写真集を出さないかとオファーを受けた。家族に相談をすると、父と兄から大反対された。

「それは男家族からしたら不安ですよね。だから1回、ヌードは断りましたもん。『父を説得できませんでした』って。でもその後、ヌードをやるのとやらないでは、どっちが面白いだろうって考えたら、やった世界の方が絶対面白い。京佳がヌードになること自体が面白いし、ヌードになることが話題にもなってほしい」

 せっかく脱ぐのだったら、いつか自分の子供に見せても恥ずかしくない写真集を作る。そう言って親を説得したのが2021年の秋だった。ヌード写真集を最後にグラビアから引退するとも決めた。

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