「山健組」に迫る本部明け渡しのXデー 5代目山健組・中田組長vs神戸山口組・井上組長の「師弟場外戦」も

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田岡3代目ゆかりの土地

 3月11日、6代目山口組傘下の「山健組」本部(神戸市中央区花隈町)と周辺の関連施設に対し、使用差し止めの仮処分が神戸地裁に申請された。仮処分が認められた場合、組事務所は地元自治体に売却することがほとんどとなっている。花隈町と言えば山健組が長らく本部を置いてきた町で、関係者は複雑な思いで事の推移を見つめているという。

 まずはこの土地の”歴史”から振り返っておこう。元々は3代目山口組の田岡一雄組長時代に、組長と親しい人物がそこで暮らしていたが、その後、山健組を立ち上げて初代組長となった山本健一山口組若頭補佐が自宅兼事務所として使うようになったという。

「1960年代に広島で他団体同士の抗争が発生し、それに山口組が肩入れする際に(広島代理戦争)、山本若頭補佐はこの土地を使ってカネを用立て軍資金にしたと聞きました」

 と振り返るのは元山口組系義竜会会長で、現在は暴力団組員の更生を支援するNPO法人「五仁會」主宰の竹垣悟氏。竹垣氏は、山本健一初代山健組組長に寵愛を受けた竹中正久4代目山口組組長の秘書を務めた人物でもある。

 さて、田岡3代目は1981年7月に亡くなり、山口組ナンバー2の座に就いていた山本若頭も翌年2月に死去する。

本部の所有権者は?

 1983年には田岡3代目の未亡人・フミ子氏がこの土地を購入。そして翌84年7月、竹中正久4代目体制で若頭補佐となっていた渡辺芳則山健組2代目に売却される。

 竹中4代目に反発する勢力が一和会を結成し、血で血を洗う山一抗争へと発展するのはその直後のことだ。

 1989年に渡辺2代目が5代目山口組組長に就くと、桑田兼吉3代目が山健組を継承。2005年に6代目山口組が発足すると桑田3代目が引退し、井上邦雄4代目が後継となった。15年にはその井上4代目らが中心となって6代目山口組を脱退して神戸山口組を結成。山健組のほうは18年に中田浩司5代目が後継となったが、この中田5代目は20年に神戸山口組を離脱し、翌21年に6代目側に移籍するに至っている。

 この間の土地の所有権については、先の竹垣氏によると、

「渡辺2代目が2012年に病死した後に奥さんがこれを相続し、18年に中田5代目が買い取っており、6代目山口組に移籍した現在もなおこの土地を所有しているものと見られています。この本部周辺はかねて山健組が地上げをしてきた地域です」

 例えば、本部ならびに関連施設は中田5代目が所有者となっているが、組関係者が会合を開く「山健会館」は神戸山口組の井上組長(4代目山健組組長)の親族が経営する会社が所有している。つまり6代目山口組側と神戸山口組側、それぞれが権利を持つ一帯となっているのだ。

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