イトマン事件、幕引きを図った「巽外夫」元住銀頭取 特攻隊として培われた胆力

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巽に渡された要望書

 結婚式などでどうしても都合がつかなかった2、3人を除く部長全員が、東京・信濃町にある住友銀行会館に顔をそろえた。西川はこう切り出した。

《「現在のイトマン問題と磯田さんのことをあなた方はどうお考えですか。お一人お一人意見を聞かせてください」》

《朝の一〇時から午後の二時頃までかかっただろうか。全員からたっぷり意見を聞いた。実に多様な意見があった。》

《しかし、共通して出たのは、磯田会長は口先だけでなく早期に辞めるべきだ、それを巽頭取から磯田会長に言ってもらわねばならないということだった。むろん私が最初からそういう提案をしても皆は納得してくれただろう。しかしそれでは(筆者註:個々の部長に)不満があっても表に出ずに(磯田の辞任が)決まってしまう。》

《そういう心配があったので、全員の意見を集約する形で磯田会長退任要望書をまとめた。印鑑をもっている人は印鑑で、もっていない人は朱肉に指をつけて全員が押印した。昔でいうなら血判状である。》

《その中には磯田さんの秘書を務めた人物もいたし、それぞれ万感の思いが去来したに違いない。しかし全員異論はなかった。欠席した人には電話で伝えた。銀行のために今なすべきことは何か、皆一致した。》(前掲書)

 この時、頭取の巽は大阪にいた。部長が大阪に飛び、巽に要望書を手渡した。受け取った巽は「部長会の総意なら、自分が磯田に退いてもらうよう進言するしかない」と腹をくくった。

吸収合併されたイトマン

 住友銀行グループの社長の集まりである「白水会」の会合が10月24日、東京・六本木の住友会館(現・泉ガーデンタワー)で開かれた。

 冒頭、巽住友銀行頭取が「支店長逮捕の不祥事」を陳謝した。「今回の事件で住友銀行の信用を傷つけ大変申し訳ないと思っている。二度とこうした不祥事を起こさないよう全力をあげたい」と述べ、深々と頭を下げた。

 イトマン=住銀事件が火を噴くのは1991年に入ってからだ。

 1月25日、イトマン社長の河村良彦は、取締役会の緊急動議で解任された。磯田一郎は2月5日、住銀の取締役を辞任した。大阪地検特捜部は7月23日、特別背任の疑いで伊藤寿永光・許永中・河村良彦を含む6人を逮捕、その後起訴した。

 イトマンは1993年4月、住友金属工業(現・日本製鉄)の子会社の住金物産(現・日鉄物産)に吸収合併され、110年の歴史に幕を下ろした。

註1:この記事は有森隆が上梓した『住友銀行暗黒史』(2017年2月・さくら舎)、『社長解任 権力抗争の内幕』(2016年2月・さくら舎)の内容を踏まえて執筆された。「伊藤萬」は1991年1月1日に「イトマン」に社名変更したが、便宜上、引用以外は「イトマン」と表記した。

註2:<追想メモリアル>元住友銀行頭取 巽外夫さん 演出家、元TBS常務 鴨下信一さん 昭和精機会長 藤浪芳子さん 元警視庁捜査1課長 寺尾正大さん(神戸新聞・2021年4月30日)

註3:「そんなものは副頭取までなんだよ」住友銀行・元大物頭取の訃報はなぜ伏せられたのか?《尾を引くイトマン事件の怨念》(文春オンライン・2021年2月19日)

有森隆(ありもり・たかし)
経済ジャーナリスト。早稲田大学文学部卒。30年間、全国紙で経済記者を務めた。経済・産業界での豊富な人脈を生かし、経済事件などをテーマに精力的な取材・執筆活動を続けている。著書に『日銀エリートの「挫折と転落」――木村剛「天、我に味方せず」』(講談社)、『海外大型M&A 大失敗の内幕』、『社長解任 権力抗争の内幕』、『社長引責 破綻からV字回復の内幕』、『住友銀行暗黒史』(以上、さくら舎)、『実録アングラマネー』、『創業家物語』、『企業舎弟闇の抗争』(講談社+α文庫)、『異端社長の流儀』(だいわ文庫)、『プロ経営者の時代』(千倉書房)などがある。

デイリー新潮編集部

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