「妻が駆け落ちして半年たちます――」 悩める53歳男性、その“出生”にまつわる奇縁
子宝にも恵まれ…
ほんの少し分けてもらった父の遺産と奨学金で、浩毅さんは優秀な成績をおさめて大学を卒業した。大学院に行くことも考えたが、早く自活したほうがいいと就職した。その就職先で同期だったのが安佳里さんだ。
「明るくて世話好きで、同期のリーダー格でした。同期会なんて、僕は逃げたかったけど彼女に『出るよね』と言われると断れない。みんなそんな感じだったんじゃないかなあ。でも結局、同期はとても仲がよくなって、社内でも珍しがられていました」
あるとき、同期会の席で、安佳里さんは「私、なんだかずっと沢田くんのことが気になってるんだけど」と隣にやってきた。それをきっかけに趣味や学生時代の話になり、意外と気が合うことを発見したそうだ。
「安佳里は明るくてさっぱりしていて、しかもきれいなのに、なぜかモテないとよく嘆いていました。だから僕が『じゃあ、オレでいいじゃん』と言ったんです。そうしたら本気にしてくれて。僕は彼女とつきあえるようなかっこいい男でもなんでもなかったから気後れしていたんですよ。あとから同期の女性に聞いたら、『安佳里はずっと沢田くんがいいって言ってたのよ。だから他の男が彼女とつきおうとするわけがないでしょ』って。安佳里の作戦勝ちだねと言われました」
だが浩毅さんは悪い気はしなかった。ふたりは周りの応援も得て、26歳のときに結婚した。もともと部署も違うので、結婚後も当然のように共働きを続けた。
27歳で長男を、29歳で長女をもうけた。安佳里さんは子どもができてからも変わることなく、明るくて世話好きでたくましかった。長男が4歳になるころ、安佳里さんの父が闘病の末亡くなり、母がひとり暮らしとなった。
「安佳里が、ここは手狭だし、嫌じゃなかったら、実家に越さない? と言い出したんです。結婚後、安佳里の実家近くの賃貸マンションで暮らしていたから、僕も義母との交流はあった。義母はちょうど定年退職をしたころでしたね。安佳里に輪をかけてさっぱりした人だったので、それもいいかなと思ったんです」
安佳里さんは父の遺産で自宅をリフォームした。1階には母が、2階と3階を安佳里さん一家が住む場所とした。水回りは母のところと自分たちのところに分けたので、お互いに気を遣わなくてすむ。そこは安佳里さんの家族への優しさだと思っていたが、安佳里さんとしては母とはなるべく顔を合わせたくない思いもあったらしい。
「働き者の義母は、それからもパートで働いていました。僕たちもどちらかがなるべく定時で仕事を切り上げて、保育園に迎えに行くようにしていました。義母は自立した人ですから、食事も別でした。ただ、僕はときどき義母が作っている煮豆などが食べたくてもらったりしていた。関係はとてもよかったと思います」
失恋した妻を励ます夫
安佳里さんは母との関係に悩んでいたようだ。実の親だし、別居していたころはうまくいっているように見えていたのだが、同居にあたって「子どものころから母のことは好きじゃなかった」と浩毅さんに打ち明けたという。精神的にも経済的にも自立していて、干渉もしてこない。いい母親なのに娘には、それが「冷たい人」と映っていたようだ。性格的にも似たところがあったというから、近親憎悪のような感情だったのかもしれない。
実家に越し、長男が小学校に入ったころから安佳里さんはそれまで以上に仕事に力を入れるようになった。泊まりがけの出張もいとわない。同時に「女友だちとの旧交を温めたい」とつきあいも増えた。浮気を疑って探偵事務所に調査を依頼したが、何も出てこなかった。彼は「妻を信じなかった自分」を恥じた。
ところがその数年後、今度は本当に浮気が発覚。日々、そわそわしたり携帯電話を手放さなかったりするので、「なんか様子が変だけど大丈夫?」と聞いたら、安佳里さんは「仕事で落ち着かない案件があって」と言った。だがその晩、浩毅さんははっきりと妻の寝言を聞いたのだ。
「うちは寝室がツインになっていたんですが、夜中に妻が『ダイスケさん』と叫んだんです。僕が飛び起きると、彼女は再度、『ダイスケさん、ダメよ』と言ってる。翌朝、不意を突いて『ダイスケさんって誰?』と言ったら、彼女の目からみるみる大粒の涙がこぼれ落ちた。びっくりするくらい大粒の涙でしたね。怒らないから言ってというと、『好きな人ができた』と素直に白状しました。あんまり素直に言ったから、『つきあってるの?』と尋ねるとうなずいて。家庭はどうすると言うと、『いちばん大事なものだから壊さない』って。それならしょうがないねという流れに(笑)。なんで承諾するようなことを言ってしまったのか、自分でもよくわからないけど、あんなに大粒の涙を見たら、なんだか気の毒になったのかもしれません」
その後、浩毅さんは妻の行動に関して見て見ぬふりを貫いた。数ヶ月後、妻はそわそわすることもなくなり、急に落ち込むようになった。どうやら恋は終わったらしい。
「家族で旅行をしたり、僕から誘ってふたりで週末デートをしたりしました。安佳里はなんとか自分の気持ちを上向かせようとがんばっているみたいだったので、ふたりだけで遊園地に行ったこともあります。『楽しかった。今度は子どもたちを連れて来ようね』と彼女が言ったとき、もう大丈夫だなと思った。失恋した妻を励ます夫ってなんだか妙な図式でしたけど、僕はそれだけ安佳里が好きだったんだと思う。彼女が笑顔でいてくれることが大事だった。子どもたちにとっても安佳里の明るさは重要だったと思います」
妻の浮気危機を、ふたりで乗り越えることができたのだと浩毅さんは感じていた。蒸し返すのもよくないと思ったから、それについてじっくり話し合ったことはないが、自分たちの関係は以前より強くなったのだとも思っていた。
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