「妻が駆け落ちして半年たちます――」 悩める53歳男性、その“出生”にまつわる奇縁
人間は一筋縄ではいかないものである。シンプルに生きていきたいだけなのに、一筋縄ではいかない身近な人とは、さらに関係が複雑になっていく。何が真実で何が偽装なのか、あるいは自分が理解できないだけなのか。そんな疑心暗鬼に陥っている男性がいる。【亀山早苗/フリーライター】
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沢田浩毅さん(53歳・仮名=以下同)は、ごく普通の表情で待ち合わせ場所に入ってきた。ただ、座るときも話している最中も、ときおり鋭い眼差しで周りを見渡す。常に誰かを意識しているように見えた。
「妻が駆け落ちして半年たちます」
彼はいきなりそう言った。
「いや、駆け落ち自体はいいんです。よくはないけど、駆け落ちしたことははっきりわかっているし、連絡もとれるから。ただ、それまでにいろいろなことがあって、僕は妻の意図がわからないんですよね」
話を聞いて何か思うところがあったら教えてほしいと浩毅さんは言う。見ず知らずの人の人生を聞いて役に立てるようなことが言えるわけもないのだが、一応、うなずく。
浩毅さんは、とある地方都市に生まれた。年子の弟がひとりいる。父も母も公務員で忙しかったため、同居している祖父母に育てられたようなものだという。
「祖父母は厳しかったですね。特に祖父は何かあると竹刀で殴るんですよ。祖父も公務員でした。家に帰るのが嫌になって友だちのところで暗くなっても遊んでいたら、その子のおかあさんが夕飯を用意してくれたんです。家に電話もかけてくれた。それなのに帰ったら、祖父に竹刀でぶったたかれました。『よそ様の家に迷惑をかけた』と。それほどいけないことをしたのかどうか、8歳くらいの僕には判断できなかったけど」
家から出たくて、寮がある遠方の私立中高一貫校に入学した。寮も厳しかったが、竹刀でぶたれないだけましだった。弟は祖父母にかわいがられていたから、どうして自分だけそんな目にあうのかもわからなかったという。
「出生の秘密がわかったのは東京の大学に入ったとき。アパートを契約するのに父親がついてきてくれて、珍しく父と長い時間を過ごしたんです。ホテルの部屋で、夜中、父が『もう寝たか』と声をかけてきた。なかなか寝つけなかったのでそう言うと、父は急に僕が生まれたときのことや子どものころのことなどをぽつりぽつりと話し始めた。そして、『おまえももう大人だから、話しておいたほうがいいかもしれない』と前置きしたんです」
それは「おまえはオレの子じゃないんだ」ということだった。最初は意味がわからなかった浩毅さんだが、母が浮気してできた子だと父は明確に言った。
「なんとなく急に幼稚園のころ交通事故にあったことを思い出しました。大けがをして手術、輸血もしたらしいんです。やっと退院して帰ってきたら、なぜか急に自宅裏の祖父母の家に行けと言われたんだった。おそらく輸血時に、父は自分の子じゃないとわかったんでしょう」
祖父に竹刀で殴られるようになったのは、それ以降だったと思うと浩毅さんは言った。だが、両親が離婚することはなかった。母も舅姑から相当、いびられたのかもしれない。
「寮のある中高一貫校を受けたらどうかと言ったのは、確か、父方の叔父です。今になって思えば、叔父が救ってくれたのかもしれません」
だから父に「母が浮気してできた子だ」と言われたとき、なんとなく腑に落ちるものがあった。思わず「おとうさんも大変だったね」と言ってしまったという。学費ばかりかかって申し訳ないとも思った。
「もういいさ、と父は言いました。鼻をすする音が聞こえました。『知らないうちに大きくなったな。うまくかわいがってやれなくてごめん』と寂しそうに言っていました。変な言い方ですが、父にとって実の子である弟は高校を中退して地元でもよくない仲間とつきあっていたから、父は複雑な気持ちだったのかもしれませんね」
その父の言葉が遺言となった。父はその半年後、急病であっけなく逝ってしまったのだ。
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