おぎやはぎだけが「バイキング」の後続番組で生き残った理由

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炎上を免れるキャラクター

 もともと彼らは「バイキング」がワイドショーになることを想定していなかった。お気楽な情報番組だと思っていたら、いつの間にか芸能人のスキャンダルについてコメントを求められる番組になっていたのだ。

 でも、彼らはそれを淡々と受け入れた。コメンテーターの仕事を苦手とする芸人も多い中で、おぎやはぎの2人はいつもの調子で自由奔放に意見を言っていた。共演者に厳しく当たることが多い坂上も、そんな彼らのことを気に入っていたようだった。

 アンジャッシュの渡部建の不倫騒動があったときにも、矢作兼は全く心のこもらない棒読み口調で「あんな清廉潔白な男がこんなことになるなんて意外ですよね」と言って、笑顔を浮かべた。

 一方の小木博明も「渡部さんがそんなに好感度が高いっていうのも知らなかったし。(スポーツ紙の)記事を見て、イケてる中年キャラって(書いてある)。あ、この人イケてたんだって、俺、初めて知って。ダサい人だと思ってたんですけど」と一刀両断した。

 矢作もその言葉に深くうなずきながら「そうなんだよな。世間と佐々木希ちゃんだけなんだよな、渡部さんを信用してるのは」とダメ押しの一言。付き合いの長い先輩芸人を容赦なくイジり倒していた。

 渡部の件に限らず、コメンテーターとしてのおぎやはぎはいつもこんな調子だった。大上段から正義を唱えるわけでもなければ、無理に笑いを取りに行くわけでもない。ただ思ったことを淡々と述べる。無難な発言をして器用に立ち回る人が多いコメンテーターの中では、そんな2人の率直さが物珍しく見えた。

 彼らは、ほかのタレントなら炎上してもおかしくないような危険なコメントをすることもある。だが、それが実際に問題になることはほとんどない。コメントに批判が殺到して彼らが番組内で謝罪した、などという話はこれまでに一度も聞いたことがない。

 おぎやはぎだけが炎上を免れている理由は、彼らの特異なキャラクターにある。彼らは情報番組でもラジオ番組でも思ったことをストレートに言っているだけのように見える。いわば、テレビを見ながら酔っ払いの中年男性がクダを巻いているようなものだ。

 ただ、彼らは、いつもの脱力した口調で、それを堂々と言い切る。そして、何を言われてもひるまない。「本当にそう思ったんだから仕方ないじゃん」と言わんばかりの態度を貫く。これによって、受け手に無意識のうちに「こいつらには何を言っても無駄だ」と思わせることで、結果的に炎上を防いでいる。

 どちらかと言うと、矢作よりも小木の方が好き勝手に暴言を吐く場面が目立つ。ただ、小木が羽目を外して行き過ぎた発言をすると、すかさず矢作がフォローに回る。それによって場の雰囲気が和み、危機は回避される。小木の無鉄砲さは矢作の温かさによって見事に中和されている。

 そんな彼らは、仕事の上でも過剰に卑屈になったり、過剰に偉そうになったりすることがない。等身大の自分たちをいつも表に出すことが自然にできている。だから、ストレートな暴言を吐いたとしても、そこに余分ないやらしさが感じられない。そのため、どんなジャンルの番組にも対応できるのだ。

「柔よく剛を制す」という言葉がある。硬いものほど何らかの強い衝撃を加えるとすぐに折れてしまうが、柔らかい柳の枝は少々曲がっても折れない。おぎやはぎも、ひょうひょうとしているように見えて、実は芯が強い。他人の目を気にしない彼らのマイペースな生き方こそが、テレビタレントとしては最強なのだ。

ラリー遠田
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)など著書多数。

デイリー新潮編集部

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